分断について:先週みたテレビ(2月6日~12日)
『クローズアップ現代+』(2月7日)
デーブ・スペクター「日本で元祖のフェイクニュースの被害者はワタクシでございましてですね。こちら持ってきたんですけど。東スポ」/『クローズアップ現代+』2/7 pic.twitter.com/QLcbdDMJtI
— 飲用 (@inyou_te) 2017年2月8日
「真実ではなくて感情的に心を揺さぶられればそれでいい」
といった態度が大きく世の中を動かしている状況。
それを「ポスト真実」と言うらしい。
アメリカの大統領選で影響力をもったとも言われるフェイクニュースを特集した、
先週の『クローズアップ現代+』で池上彰が解説していた。
そうだったのか!ポスト真実。
という具合に、池上彰はいつだってテレビのこちら側のぼくに向けて、
感覚的に飛びつきたくなる「真実」を提供してくれるわけだけれども、
なるほど確かに、
嘘のニュースを発信するネットユーザーと、
それをおもしろがって拡散するユーザーと、
そんな動きを利用する為政者と、
あるいは為政者の側から積極的に発信される嘘の情報と、
そんな予測が難しい複合的な動きが、
最近なんだか変な方向に世の中をもっていっていますね、
みたいな感じはあるような気がして、
で、池上が以下のように言うように、そういった動きのインフラに、
自分の見たい情報だけを見ることのできる、
信じたいことだけを見ることができるインターネットの環境が、
あったりするのだろう。
池上彰「インターネットが始まったときは、あらゆる情報をみることができる夢のように語られたんですが、結局いまは、みんな信じたいことだけみるってことによって、ホントに個々にバラバラに分断されてるなと思う」*1
ぼくたちを「つなげる」と考えられていた、
そのインターネットが、むしろぼくたちをバラバラに「分断」している。
ときにそれは、「おもしろい」という感情を動力として。
だから池上は番組のエンディングで、
テレビの向こうからこちらに向けて、
「おもしろければいい、それでいいのか」と疑問を投げかける。
そして同時に、同業者に向けても、
実は既存のメディアも同じことやってんじゃないですか、と自戒を迫る。
池上彰「ネットでも『おもしろい』って言って拡散する。それでいいんだろうか、ということなんですけど、実は既存のメディアも、要するにおもしろいニュースだからいいっていうように、実はやってるんじゃないか。おもしろければなんでもいいのかっていうことを、私たち自身が自戒していくこと。大事なニュースは何なのかっていうことを、ちゃんと伝えていくこと。それは私たちがもっと自戒しなければいけないんじゃないか」*2
番組のオープニングで、
「日本で元祖のフェイクニュースの被害者はワタクシでございましてですね」
と言って「デーブ=日本人」ネタの東スポの記事を取り出したデーブ・スペクターは、
さて、エンディングの池上の言葉をどのように聞いていたのか。
それをぼくは知らないし、いや、知ってどうなるというわけでもない。
知ったほうがいい真実よりも、
知らないほうがいい真実よりも、
知っても知らなくてもいい真実のほうがこの世には多いのだ。
『ワイドナショー』(2月12日)
理想の上司1位は内村光良。バカリズム「南原さんもすごく素敵な上司なんで、ナンチャンのことを忘れないでほしい。むしろどっちかっていうと社交的なのは南原さんだし、ご飯に連れて行ってくれるのは南原さんなんですよ」/『ワイドナショー』2/12
— 飲用 (@inyou_te) 2017年2月13日
新社会人を対象とした「理想の上司」調査の1位に内村光良、
というニュースを受けて、
いやナンチャンも忘れないでね、とバカリズム。
ナンチャンは社交的だし、ご飯に連れて行ってくれるし、と。
けれど、むしろそういう社交的だったり、
ご飯に連れて行ってくれたりする上司がむしろ避けられているのかもしれず、
ひとりでチャーハンを食べるような上司だからこそ選ばれているのかもしれず、
それはつまり対案の説得材料がむしろ既存案の補強材料に使われかねないのかもしれず、
なるほどここにも分断がある。
だけれども。
同番組でバカリズムは言う。司会者になりたいとは思わない、と。
バカリズム「昔だったらゴールデンでコント番組ができたりとか、好きなことができるっていうイメージだったんですけど、いまそういう感じでもなくて、好きなことやろうと思うとまた別の場所で、深夜だったりとか。ボクは分がやりたいなって思うこととか、作品を発表することはできてるんで、そこでみてもらえればっていう。そっからたぶん(人によって)変わってくるのは、司会者になりたいかどうかの問題だけだと思うんですよ、あと。それで司会者になることが成功の人は、ゴールデンでどんどんやっていくと思うし、そこが最終的なゴールじゃない人はまた…」
東野幸治「自分のなかの居場所をみつけるっていう…」
芸人が目指すべきゴールはゴールデンタイムのMCになることだけではなく、
いまはもうそれぞれが「自分のなかの居場所」をみつける時代なのだ、と。
いや、「時代」とかいう言葉を使うとなんだか大仰な感じがするけれど、
そんな感じの流れになってきているのだ、と。
そうバカリズムは言う。
つまりこういうことだ。
なるほど、そこかしこに分断がある。
でもそれは、そこかしこに選択肢があるということでもある。
バカリズムが指摘するように、
ゴールデンタイムのMCとは別の道にキャリアを見定めることは、
本来あるべき流れに乗れない者の妬みだとか僻みだとかいうことではなく、
それぞれの「居場所」として肯定されうる。
それぞれの素敵な選TAXIの走路として、それはそれでよいとされる。
おのおのが信じたいことを信じて個々にバラバラに分断されることと、
おのおのの居場所をひとつの選択肢として相互に侵害しあわないことは、
たぶん裏表の関係にあるのだろう。
排除しあう分断線と許容しあう分岐線を選り分けることは難しい。
だからその線の前でぼくは立ち尽くす。
「それはそれでいいよね」「個人の選択の自由だよね」
「正しいとか間違ってるとかじゃなくて、個人的な好きとか嫌いとかだよね」
「真実が何かよりも自分がどう思うかだよね」
「知っても知らなくてもいい真実ってあるよね」
そんな声が周囲から聞こえ、ときにぼくも口にする。
その前を先週、女優が「出家します」と歩いていった。