屋号としてのデラックス

デラックスって豪華版みたいな意味だろう。
だから、『ダウンタウンDX』は「ダウンタウンの豪華版(番組)」、
富豪刑事デラックス』は「『富豪刑事』の豪華版」、
星のカービィ スーパーデラックス」は「星のカービィの超豪華版」という意味。
テトリスDX』は「テトリスの豪華版」で、
デラックスファイターは「豪華版のファイター」で、
『品川ブログ デラックス』は「おしゃクソブログの豪華版」だ。


同様に考えれば、
マツコ・デラックスは「マツコの豪華版」ということになる。
が、はて、「マツコ」って誰なのか。
あの大きな人はマツコ・デラックスであって、「マツコ」ではない。
たぶん、マツコ・デラックスは最初にテレビに出たときからマツコ・デラックスだったのだろう。
豪華版だったのだろう。
では、ただの「マツコ」からデラックスな「マツコ」になる瞬間を、マツコ・デラックスはいつの間に迎えたのか。
マツコ・デラックスが「マツコ」に戻ることはあるのか。
「マツコ」はなぜデラックスになることを欲したのか。
誰が、なぜ、いつ、「マツコ」の豪華版を求めたのか。
いや、「マツコ」とマツコ・デラックスは同一人物なのか。
そもそもあの大きな人のどのあたりが豪華なのか。
「マツコ」の存在すら知らなかったぼくたちは、突然の豪華版マツコの登場をいかに受容すればいいのか。


マツコ・デラックスはその名前に大きな時間的空白を刻んでいる。


マツコ・デラックスのあの体の厚さは、
ただの「太った人」にはおさめることのできない不可思議さを醸し出す厚さだ。
量的な過剰さが閾値を超えると、意味的な過剰さを生むのだろう。
そして、ぼくたちの知らないデラックス以前の「マツコ」を背負うマツコ・デラックスは、
時間的な幅も不可思議に厚い。きっと、デーモン小暮より長く生きてる。


彼女はいつの間にか空白を有し、そこになにかを含んでいた。豪華になっていた。
なにを含んでいるのかはわからない。が、なにかを含んでいることは確かだ。
「マツコ」を知らないぼくたちに、その「なにか」を知ることは、できない。


と、なんだかよくわからないのだけれど、
豪華版マツコのいろんな「厚さ」は存在の「含み」みたいなのにつながってるんだろう。


だから、小池栄子もこのネーミングにならって、小池デラックスになればいいと思う。
なれるから。