『怪奇恋愛作戦』第4話 TVO(2月2日)
「今は妖怪にとっちゃ生きにくい世の中だ。妖怪はちょっとどうかと思うほどこそこそ生きていくしかないんだ」/『怪奇恋愛作戦』第4話 TVO 2/2
— 飲用 (@inyou_te) 2015, 2月 3
テレビ大阪では先週2日に放送されていたドラマ『怪奇恋愛作戦』。
人間社会で人間に姿を変えて生活する妖怪が、自分たちにとって生きにくい今の世相を語っていた。
なるほど、巷では地縛霊的な猫を中心とした妖怪が活躍しているようにみえるけれど、
いや、そんなときだからこそむしろ、妖怪は「どうかと思うほどこそこそ」しているのだ、と。
地縛霊的な猫を中心としたもろもろは、妖怪本来の生き方が制約された姿なのだ、と。
あのカラフルな表層は、妖怪的なものが抑制され脱色された事実を粉飾するものなのだ、と。
そういうことが言われていたのか言われていなかったのかはわからないけれど、
それはともかくとして、
先週はひとまず菜々緒が妖怪でした。
『徹子の部屋』(2月2日)
(続き)黒柳「そしてこれからも、点滴もせずに一生懸命いたしますので、どうぞご覧いただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。40年目に入ります」/『徹子の部屋』
— 飲用 (@inyou_te) 2015, 2月 2
黒柳徹子がMCを務め続けてきた『徹子の部屋』は先週で40年目に入った。
改めて考えてみるならば、
太陽が高い時間帯にお送りされるトーク番組としては、
『徹子の部屋』でゲストと徹子が繰り広げる話にはデリケートなものが多い。
それはたとえば子どもを産んだり育てたり産めなかったり、といったことであったり、
年老いたり病に冒されたりそこから回復したり老親を介抱したり、ということであったり、
誰かを看取ったり自分が死に近づいたり天に召された誰かを追悼したり、ということであったり。
ゲストに関するそんなあれこれがトークされる『徹子の部屋』は、
おそらくテレビのなかで最も命について語られるレギュラー番組だろう。
つまり『徹子の部屋』は生老病死バラエティである。
仏教においては根源的な苦しみともされる生・老・病・死。
私的な日常のなかにありつつも公的な日常からは遠ざけられがちなそのような四苦を、
公私が入り組む境界であるところのテレビのなかで、
40年以上にわたってお昼の日常の風景に変換してきたその所業。
ここには確かに点滴いらずの妖怪がいると言えるのかもしれない。
『水曜日のダウンタウン』(2月4日)
ブルーのペー「どこに行っても人が寄ってきて、大写メール大会みたい。今日も大変だったけどね。ちょっとわずらわしいじゃない、普段」 ナレ「人の写真は散々撮るくせに、人に撮られるのはわずらわしいとのこと」/『水曜日のダウンタウン』
— 飲用 (@inyou_te) 2015, 2月 4
超能力があるのかないのか。
サンタクロースはいるのかいないのか。
そして、妖怪はいるのかいないのか。
このような議論に終止符を打つことは難しい。
なぜなら、「ある」ことの証明はたったひとつの事実を発見すればよいだけだけれど、
「ない」ことの証明はありとあらゆる事実を精査する必要があるから。
そんななか、
「勝俣州和 ファン0人」説、
「勝俣州和の名前 漢字で書ける一般人0人」説、
「勝俣州和の自伝が電車の網棚に置かれていても持って帰る人0人」説など、
「ない」を執拗に証明しようとする『水曜日のダウンタウン』のスタッフ、もとい地獄の軍団。
で、先週4日に放送されていた同番組では、
「林家ペー ピンクの服しか持っていない」説として、
ピンクの服をいつも着ている林家ペー、
赤白ボーダーの服をいつも着ている楳図かずお、
そして短パンをいつも履いている勝俣州和、
この「芸能界3大決まり衣装」*2の3人が本当にずっと同じ衣装なのかを調査していた。
その追跡ぶりは仕事現場だけではなくプライベートにも及ぶもので、
高尾山に参拝しに行った楳図を隠し撮りしていたりとか、
大阪での番組収録に前乗りする勝俣を追いかけていたりとか。
そんな執拗な調査の結果、夜のコンビニでブルーのペーがカメラに捉えられた。
鮮やかなピンクの服を脱ぎ青いダウンを羽織ったブルーのペーが見つかったのだった。
共同体の内側と外側を画する境界、
古来そのような境界はさまざまな人間が往来する場でありつつ、
共同体の秩序に包摂しきれない妖怪のような存在が出没する圏域であったとも言われる。
現在の日本は妖怪にとって、
カラフルな色彩で自らを粉飾せざるを得ない生きにくい世相なのかもしれない。
けれど、ブルーのペーの出没というひとつの事実を踏まえるならば、
夜のコンビニは、そしてテレビの特定の番組は、
共同体の輪郭が不明瞭な現代に点在する境界であるかもしれず、
そしてなによりそこには確かに妖怪がいる。