2015年後半(7月~12月)にテレビでみかけた「テレビ」に関する言葉の羅列。要は、自分のツイートを「テレビ」で検索して出てきた言葉をピックアップして並べて編集するという作業の結果。下の3つは過去のやつ。
個人的に視聴した範囲に限られるので、バラエティ番組が大半だったりとか偏りがあるのだけれど、発言者も番組も異なる言葉のあいだになんとなくある、矛盾も含んだつながりがおもしろい気が。「テレビ」をめぐる文脈と文脈のあいだの文脈。ということで、以下、7月から順番に、敬称略で。
松嶋尚美「まったく来てないねん車。まったく来てなかったら(歩行者信号が)赤でも行ってええんちゃうのん?」
笑福亭鶴瓶「アカンアカン! テレビで言うたらアカンやん。テレビで言うたらアカンがな」
尾木直樹「だいたいボクね、尾木ママって言われるようになって、ガラッと変わっちゃったんですよね。そのこと自体はまったく予測もしない出来事だったんですよ。例の明石家さんまさんのバラエティ番組に呼ばれて。とにかくボクね、34ぐらいからずっとテレビはNHKの教育テレビ関係、ずっと出続けていたんです。テレビ界のことは結構わかってると思ってたんですよ。ところがですね、バラエティは出たことなかったんですよ。それで、さんまさんにも会えるっていうので結構ワクワクしてたんですよ。そしたら普通の報道とか教養番組とはちがって、さんまさんのあの雰囲気で流れるわけですよ。こっちも気を許しちゃって、ホッとして、ありのままの姿になって、『ちがうわよそれ』とかフッと言っちゃったの。そしたらさんまさんはすごいですね。その一瞬をとらえて『ママ』とか言ったんですよ」
林家木久扇「アタクシはおもしろければいいの。テレビをごらんのみなさんの人生が賑やかになればいいの」
ヒロミ「なにも変わらずテレビって動くじゃないですか。自分がいなくなったときに、『オレがいなくなったら芸能界もちょっと寂しがるだろう』とかね、大丈夫?とかって思いがちですけど、全然だいじょうぶなんです」
長渕剛「戦後復興のなかでテレビがきた。そこでチャンネルをひねったら、ボクのヒーローは裸足のランナー、アベベ。それから三宅選手、重量挙げ。それをボクはマネたものですよ。プロレスみましたね。アメリカ人にボクたちは負けたから、そのプライドを保つために力道山が現れて、空手チョップ一撃でのめしてしまうという構図でボクらは集まりましたよ、テレビのあるところに。そしてボクたちの自尊というものを満たしてくれたと。政治の人たちも政治の人たちで頑張るんだけども、文化やカルチャーといったものがですね、表現をする人たちが、何かを変えていくのではないか」
水道橋博士「テレビみてて自分がワイプみたいになっちゃうときありますよね、家でも。リアクションが大きく」
矢部浩之「ということで今年の『27時間テレビ』は、今いろんな意味でテレビの危機だということで、めちゃめちゃピンチってるッ!というタイトルでお送りします」
カンニング竹山「テレビも、われわれ出る側も、そして作り手も、限界はないんです。日々本気でテレビをつくれば、テレビに限界なんていうのは全くないとボクは思います」
田村淳「ルールのギリギリを歩くからこそドキドキするんです。でもルールのギリギリを歩くからこそ、逸脱してしまう。はみ出してしまう可能性が出てくる。ルールを超えちゃった人は裁きを受けなきゃいけません。でも、いまは裁きの大きさが計り知れない。もう立ち上がれないぐらいに裁きを下されるんです。ってなると、やっぱり裁かれたくないから縮こまってしまいます。みんながドキドキを諦めるようになるんです、残念なことに。そうやって安心・安全なテレビができあがりました」
田村淳「テレビの危機について(ひと言)お願いします」
田村亮「え…テレビは危機ではないと思います」
劇団ひとり「(テレビに)映らなくなったおっぱいはどこにいった。この世からなくなったか? ある日突然姿を消したか? ちがう。おっぱいはいる。いまこの瞬間も世界はおっぱいであふれている。おっぱいは逃げないぞ。逃げてるのはテレビだ」
黒沢かずこ「せっかくこういう機会なんだから、もっとテレビについて話してほしいと思うんですけど、なんかみなさんは自分たちのショーみたいになってて、結果私たち世代が出る枠がないんですよ」
(「関東の師匠の方が関西の師匠より面白い」説、関東側のプレゼンターとして)
塙宣之「はっきり言いますよ。テレビに出てないヤツは全然おもしろくないんですよ」
土田晃之「テレビ出てる人は、テレビ出てるタレントとしての姿と、プライベートの姿があるけど、さんまさんってずっと明石家さんまですもんね。杉本高文のときないんじゃないかと思う」
萩本欽一「新しい出会いですべてなにかが起きてる。きっと(卒業する)4年後にいいテレビができるにちがいないと思って(大学に)行ってますから。こんなにたくさんの人に会えたんだから」
太田光「成人式とかで暴れてるヤツいるじゃない。ああいうのよくないなと思ってみてんだけど、よくよく考えてると『あ、これオレだな』と思うわけ。あれみんなハタチでやめちゃうから批判されるんだけど、あれを続けていけばテレビ出れるようになる」
山口敏太郎(UFO映像コーディネーター)「テレビがある国は必ず特番でUFOをやるんですよ」
みうらじゅん「テレビに出てる人が何を目指してメジャーになろうとしてんのかが、逆にオレは不思議だけどね」
タモリ(吉原さん)「オレむかし『E・T』の試写会でボロボロに泣いて出てきて、全部テレビカメラで(うつされて)『どうでした?』って言われたことがあって、それ以来試写会には絶対行かないようにしてる」
ケンドーコバヤシ「吉村って3年間ぐらい真っ芯のホームラン打ってへんのに、なんでずっとテレビ出てんの?」
吉村崇「強力なコネがあるんだと思います」
明石家さんま「妊婦さんにはオレの(番組)はええねんな。岡村みたいな人の病気のときは、オレのテレビみちゃダメって言われたらしいから」
出川哲朗「(子どものときは家に)自分専用のお手伝いさんとかいて。リアルおぼっちゃま。だからテレビでお尻とか裸になっても下品にみえないのよね」
近藤さん「(タモリは)テレビではみてますけどね。あんまり好きじゃないですね。なんか軽そうな感じで、テキトーなこと言って世の中過ごしてるような感じがして」
黒柳徹子「61年ほど前にテレビができまして。アタシそのときからテレビ出てるんですけど」
タモリ(吉原さん)「テレビ始まったときから出てる人がいるっつうのが。すごいでしょ。『私はアナタをテレビでみてました』ってことがない。自分が最初だから」
三村マサカズ「家族がテレビばらばらにみだしたときは、ちょっと寂しさは感じますね」
矢口真里「(休業中は)テレビはとにかくつけなかったんですね。デマ情報も出回ってましたし、反論できるところもできなかったんで、テレビはつけなかった。そんななか私が編み出した時間の過ごしかた。ひとつめはこちらです。パズル」
レッド吉田「番組的にもなかなかゴールデンに出れないんですよ。だからテレビをみてる子どもたちから、『なんでパパは芸能人なのにゴールデン出てないの?』ってよく言われる。特に芸能人が多く出る番組、感謝祭であったり24時間テレビ、一切子どもたちにみせなくなりました」
安藤至大(経済学者)「しゃべってるだけで全部英語に自動翻訳されてテレビから流れるようになったりすると、世の中変わっちゃうわけですよ。そしたらお笑い芸人の仕事もミュージシャンの仕事も、世界的にみんなと戦わないといけなくなる。同じ土俵で戦っていかないといけない時代が、すぐそこにあるわけですよ」
松本人志「やらしい目でみられて嫌ならテレビなんて出ちゃダメ」
笑福亭鶴瓶「家族がいるじゃないですか。孫も4人おってね、テレビで『オナニー』って言うのもね…」
リリー・フランキー「師匠みたいに生放送でフリチンになったかたが、なにを逡巡されることがありましょうか」
博多大吉「(家で妻と)一緒にテレビみてて思うんですけど、とんでもないタイミングで席立つんですよ、普通の人って。オンエアみてるときに笑いながらずっとみてるくせに、オチの直前でコーヒー注ぎに行ったりするのね。信じられなくて最初。でも思ったんですよ。テレビってそんなもんなんですよね」
明石家さんま「黒柳さんはうまく聞き流す名人ですから」
黒柳徹子「アタシは聞き流してませんよ。ちゃんと聞いてますよ」
さんま「聞いてませんよ。ボクがいままで人生でテレビみて一番おもしろかったのは、『徹子の部屋』の徹子さんとさかなクンの会話」
黒柳「あ、そうね。あれはおもしろいと思わなかった」
木佐彩子「(中学2年生でアメリカ生活を終えて)日本に帰国になるってときに、(声をかけてきた)友だち何人も、しかも親友たちが『日本ってさ、テレビあるの?』とか『ジーンズあるの?』とか、ちょっと同情する感じで、かわいそうにって感じだったんですよ」
阿川佐和子「鶴瓶さんにとって、テレビのなかとかこの業界の人たちと、電車でばったり会ったおばちゃんとかに差がない?」
笑福亭鶴瓶「差がない…差がないでしょうね。差がないって思いますね」
(1997年、バイオリニスト・江藤俊哉の伴奏として『徹子の部屋』に出演の過去あり)
新垣隆「この番組に出させていただいて、その次のテレビ出演が、あの会見だった。18年ぶり」
ヒロシ「不況のせいか、ホームレスの特集番組を頻繁に目にします。…オレよりテレビに出ているとです」
上西小百合議員の所属事務所の社長「あの中瀬(ゆかり)さんの(モノマネ)メイクがなければ、あなたはテレビであの(自分で気に入ってた)メイクで出れた可能性はあるんだ。だけど中瀬さんのあの映像のインパクトが強すぎて、会社的にはもうあのメイクはカット」
綾野剛「テレビみてたら(渋谷の)スクランブル交差点が定点カメラで映るじゃないですか。みてて、『あ、ここだな』って思ったんですよね。他人同士があんなに接近して歩くことなんて、田舎からしたらありえないんですよ。その距離感で歩く人ってほとんど知り合いだったり。まったく知らない人たちが、すれちがって目的をもって歩いてるわけですよね、あのスクランブルを中心に。そういうものに魅力を感じる年頃だったのか、(上京後に)行った瞬間『わー、すごい』と思って、スクランブル交差点の真ん中に立ったんですよ。ブワーッとすれちがっていくんだけど、まったく誰も目があわないんですよね、あたり前ですけど。みんな目的があって。そのときに、オレどこに向かえばいいんだっけか、こっから。そのときに危機感をすぐに感じて」
加藤登紀子「私は私じゃない何者かになろうとして、一生懸命あがいていたんです。ちゃんと売れる歌手にならなきゃとか、キレイな女の子にならなきゃとか、足も細くしなきゃとか、化粧も上手にならなきゃとか、テレビに出たときにどうやったらキレイにみえるかとか、ちょっとやせなきゃとか。いろんなそういう…あるんですよやっぱりね。それでも、ちゃんとあなた加藤登紀子をやりなさいよって、そういうことをちゃんとやるのが歌手・加藤登紀子でしょっていうことを、初めて自分の心に覚悟を決めたっていうのは、やっぱり68年だったんですね」
矢作兼「知りたいの、辻本さんのことが」
辻本杏「知られたくない」
大久保佳代子「斬新だね。テレビ出てんのに」
(指原莉乃について)
山里亮太「巨大アイドルグループだからテレビに出やすいとかで出てるのかなと思ったら、あのコは完全に実力でしたね。腕があるのと精神が素晴らしくて、ここは私がボケよう、このクイズを間違えようってことに対する意識がめちゃくちゃ高い」
風間俊介「コソッとみつからないように、けどアンテナ張ってる人だけに届くようにっていうのが深夜テレビだったんですけど、いまやっぱりテレビはみつかっちゃうじゃないですか、時間帯がどこであれ。そうなるとやっぱりアンダーグラウンドを求めて、よりみつからない媒体に移っていったりとかしたのかな」
石黒浩(ロボット工学者)「夢もってる人はウソついてると思ってるんですけど。たいていのかたは、なれるもんになるっていうのが正しいんです」
清水ミチコ「子どもたちはテレビを消して!」
蛭子能収「ギャラは(マンガより)テレビのほうがいいんですよね。だからテレビに多く出たほうがお金がいっぱい貯まるんです。マンガは原稿料がものすごく安いので、マンガをいっぱいとるとずっと苦しい生活になっちゃう」
山本耕史「ボクが表に立っていろいろ(ワイドショーで)言ったのは、彼女にワーって聞かれるよりは、ボクがいろいろ聞かれたほうが、っていう思いもあって表に出て言ったら、思った以上に叩かれた。おもしろいもんですよテレビみてて。そういうとりかたがあんだと思って」
クリス松村(年齢非公表)「なんで(年齢を)教えなきゃいけないの? 私も一応テレビに出てるからにはね、女優なんですから。全部出しゃいいってもんじゃないのよ。興味をもたれるためには、言わないほうがいいってこと」
カンニング竹山「テレビというものを昔よりもド正面でみすぎちゃってるわけ。マジメにみすぎちゃってるわけ。テレビなんてそんなにマジメにみなくていいんですよ。いい加減なこと言ってるんだから。いい加減に大人たちがテレビという箱のなかで遊んでんだから」
青木さやか「子どもが嫌いな保母さんっていうネタを(むかし)やってまして、すごい各所からクレームがきたんですね。なんでこんなに人は怒るんだろうって思ってたんですけど、やっぱりいま親になってみて、あんなことをテレビでやる人がいたらクレーム出すかもしれない」
蛭子能収「オレのマンガが売れたときは、ヘタウマの時代って言われてたんですよ。で、オレがテレビに出始めたときは、素人の時代って言われてたんですよ。なんかね、時代のアレに乗ったっていうか」
若林正恭「(ショーパブのお客さんは)テレビのお客さんと一緒なんですよね。お笑いそこまで別に好きじゃないし、仕事帰りに同じ会社の人と来てるとかなので、通りすがりの人ですよね。ショーパブってなんかバカにされがちなんだけど、オレは逆だったかな。通りすがりの人にも笑ってもらうことをしないと」
若林正恭「オレこないだ山梨県の健康ランドに1人で夜行って、そこのサウナの食堂の休憩所みたいなところに、深夜1人で座ってたら、テレビがあって、おじいさんとおばあさんぐらいかな、みてんのよね。そしたらやっぱ、そこにも伝わることを考えなきゃいけないっていうのをわかってて、テレビの人たちはやってるし。(その人たちの)思いに沿いたいと思っちゃうかな。できる限り。自分ができる限り」
羽田圭介「本の宣伝は本以外でしなきゃいけないっていうふうに、長年の売れない時代の経験でわかってるんで。だからテレビを利用して宣伝しようと思って出てたのが(芥川賞の)受賞後1ヶ月、2ヶ月ぐらいなんです。でも、2ヶ月ぐらい出ると、テレビ出たからといって(本の)売り上げが伸びるわけじゃないなって。 書店のデータとかと照らし合わせながら、番組がオンエアされた当日、翌日の売り上げのデータとくらべて意外と伸びてないなぁって。テレビの限界をもう知ったというか、テレビへの幻想もなくなったんですよ」
(映画監督として)
松本人志「ハリウッドって、テレビで言うところのゴールデンタイムの一番人気のあるテレビ局の番組づくりに似ててね。たくさんの人にみてもらって、視聴率もあげて、満足度もそこそこ稼がないといけないっていう、そういうもんでしょ。ボクはちょっと苦手かな。だったらボクはテレビ埼玉でいいかな。マニアックな小劇場みたいなところでやるほうが、どうやらボクには向いてるような気がする」
東野幸治「お笑い芸人さんが修行せんとドーンって行くほうが、みてて気持ちいいというか、スターが登場したみたいな。もちろん(下積み時代の)苦労もいいんですけど、そない苦労したお笑い芸人、テレビでオレみたくないんですよ。華やかなほうがいいし、少々生意気なほうがみてておもしろいなと思う」
志村けん「年に1回だけは(舞台を)やらせてくれって、10年ぐらいやってる。テレビだけだとスタッフは笑ったりするんだけど、自分がおもしろいと思ったものしかやってないんだけど、ちょっと不安になるんだよね。舞台でやると、お客さんの反応と拍手と笑い声が、すごい自分のなかの勇気と自信になってくるのね。やっててよかった、これでもう1年このままでいけるな、って思うわけ。間違ってなかったなと思うわけ、自分が。そのちがいは大きいですね」
(パンケーキ屋でメニューをみながら)
有吉弘行「いまテレビ映りとか考えちゃった。ダメだわオレもう。終わったわ。終わった終わった。自分の食べたいものよりも、どれが見た目、見栄えがいいかなって考えちゃった」
萩本欽一「(テレビ番組をつくってる時は)テレビとか映画とかはみません。いいものみると、必ず人間ってパクるから」
桂文枝「いいものみないと向上しないような気がするんですけど」
萩本「いいものみると向上しないですね。いいものみると必ず人間ってなぞっちゃいますから」
松本人志「小学校ぐらいのときはよかったですよ。(テレビを)みる側のときはね。ついてないテレビでもみれたからね。テレビっていうことで、箱をね、『これがテレビやで』って、ついてないのにみてたって時代やから」
バイきんぐ・西村瑞樹の母「小峠くん、最近テレビに1人だけで出てるでしょ。ウチのコかわいそう」
西加奈子「さんまさんって、いろんなお話うかがったり、テレビで拝見してる限り、輪廻転生しないかたやと思ってて。なんか、これが最終。さんまさんが生きてく命のために、何万年続いてきた命があるじゃないですか、生まれ変わって、それの最後の気がする」
真島昌利「よくテレビとかみてると、みなさんおもしろエピソードとか、『ダウンタウンDX』とかみてても、もうこの人毎日そんなにおもしろいことがいっぱい起こってるんだって思ってます」
(野々村元県議の公判欠席のニュースについて)
古市憲寿「このかたのいまのブログみても、明らかに精神がちょっとまぁ病んでいて、もともとやっぱりテレビとかで本来なら映してはいけなかった人なのかなぁっていう気も、いま改めてしてきましたけどね」
手塚とおる「たぶん舞台ってみてる力ときいてる力だと、きいてる力のほうが強いんですね。テレビとかはみてる力のほうが強くて、きいてるほうはちょっと弱まってる気がするんですけど。両方マックスにすると人って疲れるじゃないですか」
羽田圭介「トーク番組とかバラエティ番組で自分のエピソードを話そうと思ってもないから無理やりつくるしかないっていう状態で、スタッフさんが困ってるわけですよ。だからもう自分を切り売りするよりは、まったく新しい別の体験をしてインプットするほうが、ただ単にテレビの番組のためだけでなく、小説家としての新たなネタにもなるんで。(秘境ロケで)幼虫とか食べたいですね」
田村亮「(『ロンドンハーツ』は)子どもにみせたくないテレビ番組で、何年も連続で1位とってたから。それで子育てをしてるっていうヘンテコな矛盾はあったけどね」
坂下千里子「自分の番組だし、そこを否定できないもんね、絶対しちゃいけないとこだし」
田村「ほんで否定する気もまったくないし。なのに、小学校の役員みたいなやつに選ばれたことがあったの。意味がわからんと。なぜオレを選ぶんだ」
マツコ・デラックス「どんな仕事やってても、与えられたものだけのなかでやってる人たちと、すごい広い視野でみていろんな人たちと交流して、交渉術にも長けてて、政治的な動きもできて、そのうえで自分の仕事っていうのに、ちゃんと俯瞰的に向き合える人とって、すごい差がでてくると思うのよ」
ふかわりょう「マツコさん自身、そういうこと気をつけてたりしますか?」
マツコ「気をつけてるというよりは、アタシってそういうことが好きなの。テレビに出てしゃべってることとかよりも、テレビに出るまでのことが好きだから。番組をスタッフと一緒につくって…まぁここの番組のスタッフは一緒につくることを拒否したのでしませんけれども(笑)。そういう裏の動きがアタシ好きな人間だから、本来は」
(『M-1』について)
東野幸治「2015年、2時間30分特番ですけど、オレ一番真剣にみた2時間30分、テレビを。なかなかテレビをもう真剣にみる機会もなくなってきてるじゃないですか、長時間」
(母校の中学2年生へのメッセージ)
鈴木拓「いろいろ将来の夢とかもあるかもしれないですけども、ボクから言えるのは、ヘタな夢はもたない。たとえばテレビでやってるでしょ、夢は必ずかなう。あれはね、夢かなった人にしか聞いてません。かなってない人には聞いてませんからね」
設楽統「みなさんは、テレビこうやって出てますけど、みます? テレビ自体」
松本人志「ボクね、あんまりみないのよ」
設楽「自分が出てるやつとかチェックしないんですか?」
松本「なんかさぁ、もー、あそこのオチ使われてないやんとかさぁ、フリもなしにオチだけ使ったら意味わかれへんやんみたいなことでイライラすんのよねぇ。浜田のクソしょうもないとこよう使うなぁみたいなこととかさぁ」
掛布雅之「(テレビで野球中継をみるとき)解説の声は消しますから。テレビで声聞かないんです。うつるのが嫌なんで。しゃべってるのを聞くと、その人みたくなってしまう自分が嫌なんで」
(先輩への礼儀に欠ける狩野英孝について)
田中卓志「こういうヤツは普通芸人として潰れていくんですよ。なのにコイツは売れ続けてる。テレビ界の人おかしいです」
高橋みなみ「さっしーはさ、ずっとバラエティで生きていきたいの?」
指原莉乃「私はホントに幸せな人生を歩みたいです。テレビにずっと出してもらえるなら出してもらえるでうれしいし、もしダメならダメでいいし」
羽田圭介「芥川賞もらってテレビ出まくるって、結構それだけで…なんか大御所の作家さんとかはいい顔しないですからね。ひんしゅくをかった自分が書ける(テレビを舞台にした)小説っていうのは、割と新鮮なうちに書いたほうがいいかなと思うんで。なんにしろ小説に消化しないと、なんか自分の逆転っていうのはできないと思うんですよね」
若林史江「私、現実に会った人しか好きになれない人なんですよ。テレビの中の人を現実の人と思えないんです。例えばふかわさんをテレビでしかみたことがなかったら、それを好きとも嫌いともなれないんですよ」
ふかわりょう「いざ(私に)会ったらどうだったんですか?」
若林「…結婚してくれます?」
波田陽区「最近テレビみながら、コイツもうすぐ終わるなとか、終わる占いをしてます」
又吉直樹「黒柳さんの本、ものすごい売れたじゃないですか。ボク噂で聞いたんですけど、『ものすごい売れてますよ』って編集のかたから黒柳さんが言われたときに、100万部か200万部か言われたときに、『たったそれだけ?』っておっしゃったっていう噂を聞いたけどホントですか?」
黒柳徹子「ホントです。『黒柳さん、300万部です』って講談社のかたが言ってきたんでね、『ふーん』って。テレビのパーセンテージって、1%で約100万って言うじゃないですか。だから300万って言われても、3%かと思って。『そうか300万か…』つってね、『テレビではね、3%じゃやっていかれないんです』ってアタシが講談社の人に説明したのよ」
矢作兼「お客さん増えた? イベントとかやったら」
小池美由「なんかね、やっぱりね、テレビに出るのとフォロワーが増えるのとライブにお客さんが来るのは別の話なんだなってこと実感してる」
(有名漫画家の年収を発表するスタッフに)
マツコ・デラックス「オマエいま年収いくらだよ。人の年収テレビで発表するんだから、自分の年収発表してから言えよ」
バカリズム「バナナマンの設楽さんが(2015年のテレビ出演本数ランキングで)2位じゃないですか。バナナマンさん20年のつきあいなんですけど、こんなことになるとは思ってもなかったんですよ。ずっとおもしろかったんですけど、ライブのときから。でも全然テレビ的じゃなくて。そんなバナナマンを、『バナナマンってこんなにおもしろいのになんで売れねぇんだよ』って言ってるのが気持ちよかったんですよ。こうなっちゃうとなんか引いちゃいますよね。ボクらのバナナマン、みたいなのがあったのが」
石原良純「ボクらは最初出たときは(役者は)テレビではしゃべるなって教わってきたわけ。しゃべるもんじゃないって。聞かれたことだけしゃべれっていう時代を経てきてるから。それは(今とは)全然ちがうよね」
(『しくじり先生』という番組について)
中田敦彦「しくじってない人に、しくじった人がその失敗話をして、ヤジを飛ばされたり笑われたりするんです。登壇した者だけがわかる。これは授業ではない、裁判である。この番組は何が画期的だったかと言うと、公開の裁判をはじめてテレビ番組にしたことなんですよ」
(女性アナウンサーとしてフジテレビ初の定年退職を迎えた益田由美への、同期からの手紙)
城ヶ崎祐子「私は『なるほど(・ザ・ワールド)』の由美ちゃんも大好きですが、むしろその後、あなたがつくってきた番組での由美ちゃんを誇りに思っています。ニュース番組のなかのワンコーナーとしてスタートした、全国の川を紹介する『リバー・ウオッチング』。後輩アナたちと一緒にアウトドアライフの楽しみを伝える『晴れたらいいね』。そして、釣りの名人や野草とり達人たちとともに日本の自然の素晴らしさにふれる『小さな大自然』。どの番組も『なるほど』ほどのきらびやかさはないかもしれない。何かと派手さを求めるテレビ局の志向には、ひょっとしたら地味すぎるかもしれない。長い間続けることにはいくつもの困難があったかもしれませんね。でも、あなたは自分がいいと思った番組はあきらめなかった。たとえ目立たなくても、良質な番組を『なるほど』のときと同じように、全身でリポートし続けました。そんな由美ちゃんを同期として誇りに思っています。結婚を機に退社していく後輩がいたり、フリーになって外に活躍の場を求める人もいたり、会社員として管理職の階段をのぼっていく後輩がいるなか、現場にこだわり、リポートするという仕事を定年まで貫き通した。そんな由美ちゃんの生きかたは、ブレないいちアナウンサーの手本です」
益田由美「テレビは大好きですね。だからここまでやってこられたんだと思います。これからも私は観続けます」
(街頭インタビューで「安保法案はやらせない」と言う12歳男子の映像をみて)
ビートたけし「この子だって、このセリフはテレビの知識人やなんかが言ったやつを、そのままオウム返しに言ってるだけじゃない。安保反対とか。こういう子がエラくなっちゃうんだよね。官僚になったり。融通のきかないエラい人になる」
黒柳徹子「NHKがこれから始まるってときに、まぁ昭和28年から始まったんですけど、NBCってアメリカの3大ネットワークのひとつからね、プロデューサーのかたがいらしてね、いろんなことを教えてくださったんですよ。みんなにもいろんな技術的なことお教えになったときね、ちょっと講演を、レクチャーなさったの私きいてたらね、『ふーん』と思ったのはそのときにね、『テレビっていうのは今世紀で一番大きいメディアだと思います』って。それでね、『テレビを通して知らない国の結婚式も、それからもしかしたら戦争も、全部テレビを通してみることができます』って。『だから国が良くなるか悪くなるかは、テレビにかかってると自分は思う』と。『永久の平和はテレビを通して私は得られると信じています』って。『本当にみんなのためを思う番組をつくってほしいと思います』って、おっしゃったんですよ。それで私はね、『ふーん。テレビってそういうことができるんだ』って思って。それから62年、私ずっとやっぱりいまでもね、うまくテレビを使えばみんなが平和を自分たちの手でとることができるんじゃないかって、思い続けて出てきたんですね。あのかたの講演は、いまでも耳によく残ってます」
黒柳徹子「テレビは人ですよやっぱり。つくろうという人がホントに情熱をもってやってるかどうかとかね、『このぐらいやってればテレビをみてる人は喜ぶんですよ』みたいに言ってる人の番組は絶対出ないですよ」『Face To Face』2015年12月30日
若林正恭「テレビで話せないんですよ、たぶん病気だから。話ずっと聞いてられない病気なんですよ」
光浦靖子「女の人の?」
若林「女の人の。1時間40分ぐらい経つと、いーってなってきて、芸人と海辺で打ち上げ花火したくなってきちゃう」
*2:『世にも奇妙な物語 25周年記念! 秋の2週連続スペシャル 〜傑作復活編〜』2015年11月21日
*3:山崎アナが一番幸せを感じるのは、家でテレビをみながらひとりでビールを飲むこと。『とんねるずのみなさんのおかげでした』2015年8月13日
*12:小池美由、「友だち」という概念を知る。『ゴッドタン』2015年12月25日(TVO)