アメとお茶の間:先週みたテレビ(5月30日~6月5日)

鶴瓶の家族に乾杯』(5月30日)

 

 

 先日のこと。近所を歩いていたら、目の前でおじいさんがこけた。

 周辺にいた5~6人がみな心配しておじいさんの周りに集まった。

 気づいたら、ぼく以外は全員高齢者だった。うち2人は手押し車を押していた。

 なるほど、これが高齢社会。

 

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 先週30日の『家族に乾杯』のゲストは市原悦子だった。

 北海道は厚沢部町というところを訪れ、独居の高齢者、しかも男性のそれを探したりしていた。

 

 で、周知のとおりこの番組では、

 最初ゲストと鶴瓶が2人でまちを歩きまわり、そのあと単独行動になる。

 けれどこの日の市原は、2人のときからずっと単独行動を拒否していた。

 いよいよホントにひとり旅、ということになったときに言ったのは、

 「なんで? ウソでしょ? アメあげるから」。

 じゃあいいか、となるはずもなく。

 

 そういえば、大阪のおばちゃんはアメを必ずもっている、と言われる。

 けれど、悦子ももってる。徹子は仕込んでいる。

 アメは地域通貨ではなく、全国で使用可能な通貨なのだ。

 ぼくにはまだみえない、きっと大切なものと交換されているのだろう。

 円が非人格的なつながりをわたしたちの間に築いているその横で、

 アメは人格的なつながりをこの社会に張り巡らせているのだ。

 

 番組は変わって先週5日。『ボクらの時代』でV6の井ノ原快彦が、

 『あさイチ』の冒頭でその日の朝ドラの感想を有働アナと話す、

 いわゆる「受け」についてこんなことを言っていた。

 

「朝ドラが終わって朝ドラについて話すっていうことをし始めたっていうのも、うちの祖母がひとりで住んでて、朝ドラをみてても感想が誰にも言えないっていうのを聞いたことがあって、そういう人も多いんだろうなって。そしたら、ちょっとオレ言ってもいいのかなっと思って。最初それ禁止されてたんだから、番組で。『週3までにしてください、苦情がきてます』つって、上から言われてたもん。それでもシカトしてやってたの。なぜならオレはおばあちゃんのためにやってたから」*2

 

 テレビの話題を共有し、ああだこうだと感想を交換する。

 そんな家族のお茶の間の機能は現在、ツイッターなどのSNSに一部担われていたりする。

 家族がもっていたさまざまな機能、たとえば保育とか教育とか介護とか食事とか洗濯とかが、

 時代の推移とともに社会の他の諸領域に担われていく、

 そんな変化を家族の機能の外部化と言うけれど、

 家族のお茶の間機能もまた、外部化されているのだ。

 それはたとえばツイッターに。そして、イノッチに。

 

 テレビの向こう側にいるイノッチは、高齢化し縮小する家族の、そのお茶の間にも座っている。

 テレビをみている人たちのお茶の間の一部は、ときにテレビのなかにある。

 

 イノッチは、きっとアメも配る。