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マツコはテレビの自虐である:先週みたテレビ(6月6日~12日)

 

 先週末、森達也監督作品、映画『FAKE』をみてきた。

 佐村河内守氏のその後にカメラを向けたドキュメンタリー映画。立ち見も出る大入りだった。

 騒動の真実を知りたいというワイドショー的なゲスな興味と、

 そんなワイドショー的な切り口への違和感。

 寒流と暖流がぶつかるところがよい漁場になるように、

 相反する関心をくすぐる映画にも、人が集まっていた。

 

 その日の夜、「不寛容」をテーマにした『NHKスペシャル』に、森達也が出演していた。

 ネットの炎上は連日のように起こっている。

 保育所の開設に近隣住民が反対しているというニュースも目にする。

 どうやら私たちの社会は「不寛容」になっているようだ。どうすればよいのか。

 番組のそんな問いに、森は上に引用したように応じた。「後ろめたさをもてばいい」。

 

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 番組は変わって、先週7日の『マツコの知らない世界』はイヤホン特集。

 視聴者プレゼントにするイヤホンをマツコ・デラックスが選んでいた。

 ひと通り選び終わったところで、マツコはテレビのこちら側に向けて言う。

 「応募方法は最後までみないとみられないというのが、テレビの嫌なところです」。

 

 ときにテレビも炎上する。

 一方でテレビは、「影響力を考えろ」と言われる。パブリックな器としての責任を果たせと言われる。

 他方でテレビは、「おもしろくない」と言われる。秩序を揺るがす非日常的なものであれと言われる。

 相反するまなざしが交差するところは、よい漁場となる。不寛容の生まれる場所になる。

 

 マツコはそこを、自虐で横切る。

 「応募方法は最後までみないとみられないというのが、テレビの嫌なとこです」と、

 不寛容が生まれる手前に先回りし、実はアタシもそう思ってたのよ、と先手を打つ。

 その自虐は、テレビの外側からの不寛容に対する防波堤となる。

 

 マツコはテレビの自虐である。

 望むべくんば、そのような自虐、言葉を換えれば「後ろめたさ」が、

 テレビの外側ではなく内側から発信される不寛容に対する、歯止めにもなりますように。