人工知能とレンブラントとみうらじゅん:先週みたテレビ(7月11日~17日)

クローズアップ現代+』(7月12日)

 

 

 先週みたテレビ、1つ目。

 先週12日の『クローズアップ現代+』のテーマは、人口知能についてだった。

 人工知能は17世紀オランダの画家・レンブラントの作品の特徴を学習し、

 レンブラント的な新作を描くところにまで到達した。

 芸術分野に進出してきたそんな人工知能について、どう考えるか、みたいな内容。

 

 芸術は人間的な活動とされている。人間性の頂点にあると思われていたりもする。

 しかし、一部の不世出の天才を除けば、芸術に携わる多くの人は、

 過去の作品を学び、分解し、再構成し、自分の作品を創作するという、

 学習と試行錯誤のプロセスを経る。

 人工知能も同じだ。人工知能もまた、過去のパターンを学習するプロセスを踏んで創作する。

 で、やってることが同じなら、膨大な量を正確にこなせるぶん、

 人工知能のほうが人間にまさるだろう。人間性は人工知能で複製可能だろう。

 

 となると、人間性とは何だったのか?

 

 そんな話の流れで、美術評論家でタレントの山田五郎は語る。

 いやいや、人工知能はちゃんと学習しすぎちゃうんだ、と。

 人間は不正確な学習しかできないかもしれないけれど、

 その不正確さこそが、逆に創作を生んでるんじゃないか、と。

 バグがパターンの学習をこえる創発を生み出すのだ、と。

 

 なるほど、そうかもしれない。

 だけれども、バグのようなものもまた、そのうち人工知能は学習し再現してしまうのではないか?

 

 先週みたテレビ、2つ目。

 先週16日の『SWITCHインタビュー 達人達』は、

 劇作家・前田司郎と、お化け屋敷プロデューサー・五味弘文の対談だった。

 

 そのなかで、劇作家の前田は「ストーリーにそんなに興味がない」と語った。 

 なぜなら、どんな要素をどんなふうに組み合わせれば客の気持ちがどのように動くのか

 そんなストーリーの組み立てはとてもロジカルなものだから。

 つまり、ストーリーは「結局いつかはAIがつくるようになると思う」から*1

 

 では、彼はなぜ劇作家として物語に関わるのか?

 

ストーリーよりも人、この人とこの人が出会ってこういう話をしているとか、その雰囲気とか、こういう人とこういう人が会ったときにこんな嫌な雰囲気が流れるとか。そういうところって、まだしばらくAIにはできないんじゃねぇかなって。つまり、人間がやる意味があるんじゃないか、もっというと、ボクがやる意味があるんじゃないか。

『SWITCHインタビュー 達人達』(2016年7月16日)

 

 前田は語る。

 ロジカルなものとしてのストーリーは、人工知能でそのうち再現できてしまうだろう。

 けれど、この人とあの人の具体的な出会いとコミュニケーション、

 そこで生まれる雰囲気は再現することがまだできない、と。

 コミュニケーションがロジックをこえる創発を生み出すのだ、と。

 

 なるほど、そうかもしれない。

 だがしかし、コミュニケーション上の雰囲気のようなものもまた、

 コミュニケーションが生まれることで初めて生じるような空気感のようなものもまた、

 そのうち人工知能は学習し再現してしまうのではないか?

 

 先週みたテレビ、最後の3つ目。

 先週11日放送の『ワイドナショー』はゲストにみうらじゅんを迎えての放送だった*2

 

 胸に自分の顔が入ったカメオブローチをつけて出演したみうらは、オープニング早々、

 「これからオレ、熟女を目指してやっていこうと思ってるんで」と言う。

 そして、「もしよかったら熟女枠で呼んでいただけるとうれしいです」と希望を述べた*3

 

 で、号泣会見の野々村被告の裁判について、

 まえだまえだ・前田航基(兄)がロジカルで賢いコメントしていたのだけれど、

 それを松本人志長嶋一茂が「そのとおり」「すばらしい」と首肯・賞嘆するなかで、

 前田のコメントへの感想を振られた熟女枠希望のみうらじゅんは、次のように言ったのだった。

 「え、よく聞いてなかった」*4

 

 テレビのなかのバグ的存在は、コミュニケーションを拒む(ふりをする)。

 

 なるほど、人間の創発の源泉として名指されたバグやコミュニケーション、

 それらもまた結局、人工知能は領有してしまうのかもしれない。

 

 そうなったとき、私たちバグだらけの存在は、

 かれらとのコミュニケーションを拒む(ふりをする)ことができるだろうか?

 ブローチはつけないまでも。

 

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