先週みたテレビとカワイイ(2月27日~3月5日)

ねほりんぱほりん』(3月1日)

 

 「カワイイは正義」という言葉がいま一番似合うのは誰だろうか。新垣結衣だろうか。

 

 思えばドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の新垣のセリフにこんなのがあった。

 「カワイイは最強なんです」「カワイイの前では服従、全面降伏なんです」*1

 あなたがそれを言ってしまっては、という感じもするけれど、

 なるほど、「カワイイは正義」とかそれに類する言葉自体、

 それを体現する者でないとストレートに言えないし、

 聞く方としてもストレートに受け止めにくいのかもしれない。

 正義を語るその前に、正義は調達されていなければならないのかもしれない。 

 

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 さて、Eテレねほりんぱほりん』。

 偽装キラキラ女子とか、元薬物中毒者とか、地下アイドルとか、

 ちょっといろいろ話にくい事情を抱える人に、

 ちょっといろいろ聞きにくい話を、

 人形同士の会話という体裁で山里亮太とYOUが当事者に根掘り葉掘り聞くこの番組。

 先週のテーマは「整形する女」だった。

 

 そして、実際に何度も整形している女性が、「カワイイ」について次のように言っていた。

 

女性「平均よりちょっとカワイイぐらいで、パッと見カワイイねぐらいでいたいです。カワイイに越したことはないんですけど、すごくかわいいのであれば、逆にイジメられちゃうこともあると思うので。気が強くないとやっていけないだろうし。めちゃめちゃカワイイよりもまぁまぁカワイイのほうが、女のコとして生きていきやすいと思います」*2

 

 「カワイイは正義」であるとしても、いや、だからこそ、

 正義が求められているわけではない和をもって貴しと為す世間の領域では、

 「全面降伏」を求めるような強すぎる正義=カワイイは忌避される。

 そういうことだろうか。

 

 他方で、女性は「カワイイが一番信頼できる」とも言う。

 

女性「カワイイが一番信頼できるんですよ、私は。好きな人とかにも、顔じゃなくて『オマエの性格が好きなんだよ』とか言われるよりは、『顔がタイプ』って言われたほうが安心するっていうか」

ねほりん(山里)「性格が好きのほうがうれしくないっすか?」

女性「普通の人って、別にみんな優しいし、この人の性格じゃなきゃダメっていうほど違いはないと思うんですよ。でも、見た目って全然同じ顔の人はいないし、私だけの顔じゃないですか。1回カワイイと思った人って、自分のなかでこの人カワイイって思い続けることができるけど、性格ってそんなに…。ホントに両思いだから優しいだけだと思うんで。気分でも変わるものだと思うんで、性格って。結構あいまいなものだと思うんですよ」*3

 

 「性格」というものはあいまいすぎる。

 人によって評価は変わるし、性格にそう個人差はない。

 それに比べて「顔」はハッキリしている。

 評価の揺れは小さいし、この私だけのものでもある。

 可変的で互換性を帯びた「性格」に対し、不変的で唯一性を帯びた「顔」。

 だから、私は「(まぁまぁ)カワイイ」顔を求める。信頼できるし、安心できる。

 

 なるほど、ひとつの筋の通った見識だという感じがする。

 周囲に「全面降伏」を求める正義ではなく、

 当人の納得を調達できるサイズに限定された正しさでもあるのだとも思う。

 

 けれど、よくよく考えてみる。

 そういった「カワイイ」顔を「整形手術によって得る」という話になると、

 話はなんだか反転する。

 

 そこでは顔は、変えられないものではなく変えられるもの、

 可変的なものとして捉えられているのではないか。

 他者と入れ替えられないものではなく入れ替えられる部位の組み合わせ、

 互換性を帯びたものとして選ばれているのではないか。

 

 変えることで変えられないものを得て、替えることで替えられないものを得る。

 

 なるほど、モグラのぱほりんことYOUが言うように、顔面って不思議だ。

 そして、「カワイイは正義」であるとしても、いや、だからこそ、ねじれる。

 

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『A-Studio』(3月3日)

 

 であれば、徹底してねじれるという道もある。

 

 家族とか地元の親友とか関係の深い芸能人とか、

 ゲストに縁の人にMCの笑福亭鶴瓶が直接取材して、

 それをもとにゲストとトークする番組『A-Studio』。

 先週のゲストは優香だった。

 

 優香の脇腹に駐車場を借りて胸の谷間に住みたい。

 そんな話を鶴瓶リリー・フランキーから聞き取ってきたり、そんな展開もあった。

 けれどここでは優香の上の言葉を取り上げたい。

 「ドロドロになった気持ちとか疲れたものを、京子ちゃんに会って流すっていう感じ」

 

 女子レスリングの浜口京子の様子が最近大きく変化していることは、

 すでに多くの人に気づかれている。

 昨年末の「細かすぎて伝わらないモノマネ」でもネタにされていた。

 兆しはあった。いつの間にかアニマル浜口と一緒に気合を叫んでいた。

 エスパー伊東と気合を叫び合っていたこともあった。

 

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 けれどリオオリンピックが終わった昨年の後半ぐらいからだろうか、

 はっきりとルートが変更がなされたようにみえる。

 細かすぎて伝わらないモノマネで「乙女な浜口京子」としてマネされていたように、

 最近テレビでみる京子の遇され方は、

 アニマル浜口の娘でも、レスリングでもなく、「カワイイ」である。

 

 しかも特殊な「カワイイ」である。どう特殊か。

 いまだ明確なツッコミを受け付けていないという意味で特殊だ。

 モノマネやテロップというかたちをとって、

 京子自身の「カワイイ」言動が誇張的になぞられはしている。

 しかし、優香の言葉を借りるならば、

 当人の「カワイイ」に「カワイイ」以外で応答するような、ときにそれを修正するような、

 そういう邪なもの、ドロドロしたものは京子を前にして洗い流され、デトックスされ、

 明瞭な他者の言葉のかたちをとることはいまだない。

 

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 京子が提示する「カワイイ」に対して、周囲は「全面降伏」の状態にある。

 「カワイイは正義」という言葉がいま一番似合うのは、浜口京子ではないだろうか。