2019年の「テレビ」を並べる
2019年もテレビをたくさんみました。そんなテレビを振り返る意味で、2019年のテレビで見聞きした「テレビ」という言葉を含む発言を並べてみました。
テレビ番組の書き起こしをしている自分のツイッター(@inyou_te)を「テレビ」で検索して、少し編集したものを羅列しています。毎年やっている企画です。
テレビが語るテレビ。ときに矛盾するその自己言及をただただ並べることで、テレビのいろんな側面が浮き彫りになったら。そんな狙いがあったりなかったりします。
ということで、以下、2019年の「テレビ」を並べる。時系列順に、敬称略で。もちろんいろいろバイアスありで。
YOU「マツコちゃんて、自分が趣味で好きだったり知ってることがたくさんあって、映画でも歌でもなんでもそうなんですけど、そういうことを本気でちゃんと局と組んで(番組として)実現していくから。だから、テレビ界のフィクサーってアタシは呼んでるんですけど」
前田裕二(SHOWROOM社長)「『イッテQ』がなんで人気なんですかねって話のときに、震災後はテレビがウソついてるってみんな思ってるから、リアリティのある番組が人気なんじゃないですかね、っていつも言ってたんですけど、(ヤラセにあまり批判が集まらなかったのは)たぶん視聴者が『イッテQ』に求めてたのがリアリティじゃなかったんだなと。どちらかと言うと、日テレの『電波少年』とかもそうなんですけど、がんばってる人を応援するっていうのが、結構本質なのかもしれないって思いました」
佐久間宣行「いまはホントに過渡期で、テレビバラエティの文法でつくってるネット番組がたくさんあるんですよ。YouTuberの編集って全然ちがうじゃないですか。ジャンプカットっていうのを多様して、ワンカメでどんどん音節も切ってく。そういうような編集のテクニックをつかった、超面白い芸人が出てくるバラエティとかが(ネットで)生まれたりすると、また変わるんだと思うんですね。今は、YouTuberのつくるものと、ジュニアさんとか竹山さんが出るようなネットバラエティっていうのは乖離してて。テレビの文法の中での番組が、出先がネットってだけになってるんで、今は」
吉田羊「(ゴシップを)テレビでやると、みんなホントなんだって思っちゃうじゃないですか」
明石家さんま「思うって。本物の方が多いからね、テレビでやる場合。そこに偽モンが交じるから、われわれ困るんですよ」
健さん(侍魂管理人)「自分で考えた文章を発表するじゃないですか、夜に。そうすると、掲示板にですね、おもしろかったとか、すごい爆笑したみたいなのがあって、人気でアクセスが上がってっていうのが、そこはすごく認められたような感じがして、すごくおもしろかったですし。1日にアクセスが20万とかあったので、急にスターダムみたいな感じでのし上がって、ラジオとか出してもらったり、テレビとか出してもらったり、局の前に出待ちの女のコがいるみたいなところに急になったので。なんかオレの人生おもしろいことになってきたみたいな、ワクワク感みたいなのもあったので。とりあえず行けるところまで楽しんでみようかなみたいな」
堀江貴文「テレビってスワイプもできないし、ズームもできないし。みんな子どもがタブレットとかスマホでユーチューブとかみてるじゃないですか。テレビにもこうやって(ピンチしたりスワイプ)してる」
バカリズム「ここ何年かでネット番組だったりとか動画配信とか普及していくことで、結構テレビのスタッフさんが、このままじゃネットに負けるとか、下手したらテレビは負けてるんじゃないかとかいうふうに言ってるの聞くんですけど、ボクは逆にテレビ側がネットを意識しすぎなんじゃないかなって。テレビはテレビでいまでもおもしろいと思うし、ネットもテレビも別物だと思うんですよ。それぞれの楽しみ方があると思うんですけど、なんか口を開けばすぐ『このままじゃネットに…』とか、そういう愚痴を言って、別になんの解決策もない愚痴を飲みながら言うんですよ。で、よく言うのが、昔のテレビはよかったとか言うけど、ボクいまの方が絶対おもしろいと思うし、振り返ってみても別にいまみたら、そんなのもうあったりするじゃないですか。粗かったりとか。なんか、そう言いたいのかな?みたいな」
安藤優子「テレビにいるテレビ側の人間が、自分たちがもう終わってるかのような、貶め方をしすぎてるんじゃないかなと思うんですよ。それは何かっていうと、やらずしてもう負けを認めるようなもので。私はテレビって、もう何が出てくるかわからないびっくり箱みたいな、ワクワクするものだと思うんですよ。しかも、ただスイッチ入れればいいだけじゃないですか。その手間の容易さを考えると、スイッチひとつでワクワク感があるっていうそのびっくり箱みたいなものをつくってるんだよっていう、そういう矜持がなくなっちゃってるんじゃないですか?」
松本人志「テレビのエラいさんとかスポンサーの人たちのエラいさんとかがやっぱり、自分たちのセンスのなさを、視聴率という指標に走りすぎたんですよ」
萩本欽一「体で覚えてきたコメディアンって、言葉は使わなかったもんですから。大人になってね、大人の言葉になってないと思って。これはやっぱり大学行かないと、これからの年齢にあったテレビができないなと思って」
羽鳥慎一「どう思ってらっしゃるんですか? いまのテレビのバラエティの、ちょっと規制が多いっていうか」
高田純次「だからいまね、どのへんまでやっていいのかっていうのがわかんなくなってきて。ボクは一応、下ネタを4回か5回入れてんですけどね、必ずほとんどカットになってるんですよね」
千鳥・ノブ「(高校の文化祭で大悟とステージの司会をしたとき)めちゃめちゃスベったんですよ、司会が。テレビみてて司会って、なんか簡単なもんだと思ってたんですよ。漫才とかコントは難しいけど、司会って誰でもできるんや、スター性があれば、と思ってて、何も考えずに出ていって、頭真っ白なまま2人でスベって、シーンとなったまま文化祭が終わったんですよ。その後、体育館の砂利のとこで大悟と座って、『ヒデちゃんってすごかったんやなぁ』」
尾田栄一郎「連載はじまったらテレビみれなくなるので。目使っちゃうとどうしても原稿が描けない。耳が自由なので、ラジオをよくきくんです」
矢口真里「小さい女性はエロい説っていう。よくいろんなテレビで言われてて、ハッて思って。私、エロい」
笑福亭鶴瓶「たぶん(さんまが)80歳まで15年ぐらいしかないんですよ。その15年、トップで走り続けるという体力は、絶対ありますよアイツ。ということはですよ、アイツが80になる、テレビに出て一線でまたトップで笑わせてる姿をね、オレみるのには、84まで生きなあかんのですよ。絶対死んでほしくないんですよね。だからアイツのその姿をみるのを楽しみに……まぁ、そう言うたんですよディレクターに。『家でみるんですか?』って。ちがう、一緒にテレビや!」
(1960年ごろ、テレビが初めて教室にやってきた山奥の村の分校。その顛末を追ったドキュメンタリー)
ナレーション「『テレビはまるで愛のようだった』と、この子は言った。毎日親しく話しかけてくれるテレビは、この子にとってどんなにあたたかな愛情であったのだろう」
岩井志麻子「本人が変わらなくても、環境が変わったらうまくいくことがある。私も岡山県にいたときは、ただの変な人だったんですよ。それが東京に来たら、ちょっとおもしろい人とかって言われて、テレビに出させていただいたり、本を出させていただいたり、居場所が与えられたんですよね。岡山だったらホントにもう困ったおばはんでしかなかった」
ふかわりょう「おそらく、全国区の変な人になったっていうことだと思いますけどね」
マツコ・デラックス「いまだにアタシ、テレビに出てる人って『向こう側の人』だと思っちゃってるから」
村木厚子(元厚労省事務次官)「(瀬戸内)寂聴さんに言われるまではですね、(テレビに)出ないって思ってたんですけど、寂聴さんが『自分の活動を知ってもらうために一番みなさんにわかってもらえるのはテレビです。出なさい』って言われて、今日覚悟を決めて」
栗原叶(小学生)「こないだ眼科で、隣の席の子に『もしかしてテレビ出てますか?』って感じに、聞かれたそうです」
森星「テレビに出させていただくからには、スベりたくないんですよ」
(指原莉乃への「お得意の体を使って」発言が批判を受けた件)
松本人志「じゃあアレかな、なんぼそれなりに親しくても、テレビ出たときはもうちょっと堅っ苦しくしゃべらなアカン世の中になってきたのかなぁ」
(年始の休みはグアムに行っていた)
千鳥・ノブ「年末もう芸人さんと会いすぎて。とんでもなく行ったのよ現場に。テレビやら劇場やら。『もう芸人とか見るのも嫌!』となって。で、グアムに行ったら、ホテルのプールに浸かってたら、前をノンスタの井上が泳いできた」
東野幸治「売れてないときは吉本の悪口散々言って、売れだして急に吉本の味方する芸人いっぱいいますから」
ほんこん「オレ(東野が)変わった時期覚えてるもん。テレビにちゃんと出ようって思いだしたときや」
(漫才に博多弁を取り入れた理由)
博多華丸「(陣内孝則さんが)月9のドラマ(=『愛しあってるかい!』)で博多弁を出したんですよ。それに憧れました。だから、いつか東京のテレビで博多弁をしゃべりたいっていうのが、ボクの最初の(目標)」
オードリー・若林「いまテレビも『ながら観』でね、スマホみながらみる時代で。なのにラジオって、耳でその時間、1時間とか能動的に聞くって、すごいなと思うんっすよ。距離が近いから、それは魅力ですよね。テレビより全然距離が近いから」
古市憲寿「社会はゆっくりしか変化しないから、それ待ってても仕方ない部分もあると思うんですけど、1個でもできるとしたら、居場所をいくつかもつことだなぁと思うんですね。今のこの仕事、本書いたりとかテレビ出たりとかって仕事が、別に絶対一生やらなきゃいけないって思ってるわけでもないんで。これ一生やりたいって思ったら、いろんな人にたぶん気遣ったりとかしたかもしれないけど、別に一生やりたいって思ってるわけでもないので。だから自由でいられるのかもしれないですね」
有働由美子「嵐の活動休止会見から一夜明けましたけど、いまどういう心境ですか?」
櫻井翔「朝からずっとテレビをみていたんですけれども、各局ホントにたくさん取り上げていただいて、そして数えきれないほどの方々から、あたたかいコメントをよせていただいて、胸がいっぱいなの…ですけれども、ちょっと昨日帰って嗜んでしまったら、顔が驚くほどむくんでまして。これもボクのファンの方は慣れっこなんで大丈夫だと思います」
有吉弘行「お笑いの人がやっぱり何かやられるのはうれしいってことがわかってないんだよね、いまだにね。いじめだと思うんだね。ご褒美なんだよあれは」
マツコ・デラックス「テレビの風潮自体がそうなっちゃったもんね。昔は半分は今でいういじめをやってたわけだもんね、テレビで。お笑いってなったらさ。水のなか落ちたりさ、みんなやってたわけじゃん」
有吉「って見えるようなことをね。狩野が落とし穴落ちてるのみてるじゃない。『有吉だって落ちろよ』ってなるのよ。いやバカ、落ちてえんだよ。狩野の方がいまおいしいんだよ、っていうさ」
オードリー・若林「ネクタイすんのが嫌で。どのぐらいまでいったらネクタイしないでテレビ出れんのかなって、いつも考えてます」
花田優一「(報道3日前に)アルタの前で父と2人でエレベーターを待ってたら綾部さんが来たんですよ。綾部さんがマスクとって『お世話になっております』って来たので。ボクらもわかんないので父に『ピースの綾部さんです』とは言ったんですけど。で、2人でテレビでみてたら報道があって、爆笑しました」
東野幸治「引退のときは弟、貴乃花さんに何か言ったりとか、武蔵丸さんに何か言ったりとか、世代で戦ってきた力士たちに何か言うんですか?」
花田虎上「何にもないです。みんなテレビみてお互い、辞めたって知る」
髙嶋政宏「やっぱりね、食べ手の変態さっていうのもこれから要求されていくと思うんですね。だから熱いものは熱いうちに、いかに食べたときに外の…外界の空気と混ぜながら、技術でできるだけ板長が出した最高の状態のものを最高の状態のまま食べられるかどうかっていうのが、これから食べ手に要求されることなんですよ」
石橋貴明「テレビに伝わる?」
髙嶋「えっ?」
石橋「テレビに」
髙嶋「いや、たぶん最近映像っていうのはね、心の中まで映し出すので絶対伝わると思う」
石橋「いや、8Kでも無理だと思う」
元谷芙美子「ぜひチャレンジしていきたいですね」
佐藤「つまりパリにもアパホテルを?」
元谷「はい、やっパリ」
佐藤「これはもう、テレビに流すレベルではございません」
市原悦子「テレビの前のみなさん、官九郎さん、又吉さん、こんばんは。今日はね、私がずーっと前に聞いた鳥取の昔話をどこまで思い出せるか考えて、みなさんにお送りしたいと思っています。えーっと、題はね、米出し地蔵」
NEWS・手越「労働ってあんまりテレビで聞いたことないんだけど」
Mr.シャチホコ「ある時にテレビみてたら、アッコさんが『おまかせ』で、ガンバレルーヤさんがゲストだったんですけど、ホントに番組の終わりでエンドトークみたいなときに、『もうホントにごめんなさいね、いま言うのはアレなんですけど、キミらってそもそも何をされてる方なん?』って」
坂上忍「ヒヨらないようにキワキワのとこでやってかないと、それはそれでバレるのがテレビだと思ってる」
指原莉乃「こないだフジテレビにでっかいポスターがあって、『テレビ革命』って。そのポスターに出てるのが、梅沢さんとか坂上さんだったんですよ。革命って言って、若手がドンッじゃなくておじさんがブンッ。今までと何も変わんないじゃん、安定感があるみなさんでいくんじゃん、って」
こぼん「テレビのエンターテインメントとしてはおもしろくもなんともないでしょう」
アインシュタイン・稲田「テレビ出てる方に憧れて吉本入ったんですけど、吉本に入った初日に社員さんに言われたのが、『キミの見た目はテレビ的にはNGか、もしくはギリギリNGか』」
神田愛花「夫(=バナナマン・日村)がテレビがすごく好きな人なものですから、帰宅するとすぐテレビと、あとネットテレビと両方ダブルでつけてるんですよ。全然夫婦の会話がなくて、それを訴えましたら、去年のクリスマスにプレゼントで、愛花の券っていうのをくれたんです。手作りで、12枚つづりで有効期限1年なんですけど、それを行使すると、10分間無音で私の話だけを聞いてくれるっていう」
上田慎一郎(映画監督)「ボクは映画を主につくってますけど、(映画『カメラを止めるな!』の主役を)テレビのディレクターになんでしたのかとかってよく言われるんです。映画監督ってやっぱ質とか作品だっていうことで、クオリティが担保できなくなったら止めちゃったりとか、っていうのが出てきちゃうかもしれないですけど、テレビの人ってなんか、まず放送する、納期を守るっていう、なんかそこがカッコいいなと思ってて。妥協できるカッコよさというか。ときにその妥協が、なんか元々描いてた台本を超えるときもある」
ベッキー「私は2年前に絵を描き始めました。試しに絵を描いてみたら、すごく楽しかった。例えば私がテレビに出る。そうすると、私の発言が正しかった、正しくなかったでジャッジされてくる。でも、アートは正しい正しくないのジャッジがない。こんなに自由でいられる場所があるんだと思って、絵を描き始めました」
枡田絵理奈「それまで業界人とばっかりいたじゃないですか、テレビ局の。うまいこと言ってドッカンドッカンみたいなのに疲れていた時に、すごーい話のつまらない、すごーいボーッとした、野球しかしてませんボクはっていう感じの主人が現れて。それまで入っていたスイッチが、ガチャンってオフになって」
視聴者「一昨日の『サンジャポ』をみたんですが、(岩井志麻子さんが)『今じゃ早朝か深夜の番組しか出られない』とおっしゃっていたことにショックを受けました。夕方の番組『5時夢』は黒歴史なんでしょうか?」
岩下志麻子「これはね、テレビ番組のうちに入らない」
ふかわりょう「人によっては不適切動画」
岩下「無料動画でした」
坂口杏里「私は、またテレビに出て、どれだけ時間がかかっても、天国のお母さんにとっても自慢の娘でありたい」
海原ともこ「今ってな、テレビに、まぁ芸人さんでもそういう人おるかもしれんけど、作家さんでもディレクターさんでも多分、決めちゃう人多いと思う。見てる人に任せへんから、勝手に自分で答え出して番組つくってるから、視聴者の人とあってないねんで、って思う」
雛形あきこ「(野田社長のことを)一応テレビでは信頼できるって言ってたんですけど、初めしばらくは信用してませんでした。怪しいと思ってました。4,5年は」
島崎和歌子「自分たちがテレビみてたときって、必ず歌があって、トークがあって、コントがあったりとかやってたじゃない。歌うたえなくなったらテレビとか雑誌とか出られなくなるんじゃないかと思った。でも、バラドルがあったから、歌売れなくてもいいやと思って」
相田翔子「(Winkの)活動停止してたときに、私は曲ばっかりつくってリリースして、アルバムを2枚、シングル2枚リリースしたんだけど、テレビに出てないから、世の中としては終わった人になっちゃってた、ってことに気づかなくって。私は大満足してたの。緊張からほぐされて、大好きな曲だけ作って。そしたらある日、(マンションの)管理人さんに『ずいぶん落ちぶれたね』って。こんなに部屋で曲つくって大満足してるけど、管理人さんのこの言葉って世の中の言葉なんだ、って。世の中で私はもう出てなくて昔の人で、いま落ちぶれた人になってるんだ、って思って、すごい腹が立ったの。それで一念発起して、管理人さんに負けてたまるものかって思って、すぐ事務所に走って。『苦手だって言って逃げてましたけど、テレビ出ます』って」
フットボールアワー・後藤と話した大宮の女子高校生「テレビとしゃべってるみたい」
松本人志「ちょっと最近テレビが、少し変わりだしたでしょ。世帯視聴率重視じゃなくなってきたじゃないですか。ボクなんかでいうと、これまでやりたかった、ホントにやりたかったというか、おもしろいことだけをもっと追求できる番組が、できやすく前よりはなってるような気がするんで。もうちょっとやってみようかなぁってこの1,2年、逆に思えた。それなかったらホンマにもうええかなって思ってたこともあったね」
長嶋一茂「ボクはずっと図々しく死ぬ前までテレビの前にいれたら、年に1回でもいれたらやりたいなと思ってますね。なぜならば、ボクはこの現場っていうのはすごく自分にとって刺激をもらえるもので。これに代わる刺激がまだ見つかってない」
女性(東京都・40歳)「(新元号発表を)テレビで見ました。誰もいないリビングでカップラーメンを食べながら、ホントにどうでもいいような人生なんだなと実感しました」
森三中・黒沢「周りの人が、男女のイチャイチャで人間が変わるじゃないですか。(中略)女はいつしか変わるかもしれないと思った時に、それがトラウマになっちゃって。だから、私ももしかしたら人が変わるんじゃないかっていうのと、何かそれで怖いって思ったんですよ。例えばテレビとかで一緒に共演して、『ワーッ』て言ってるコが、夜に飲みの席に行って、そしたらいきなり男とイチャつき始めたりする姿を見て、あの女の姿は一体何なんだと思って。女優さんみたいな、タレントさんみたいな、グラビア系とかもみんなイチャつくわけですよ。恐ろしいなと思って。なんで普通の顔してんのに、と思ったら、もう国会中継とかもみれなくなってきちゃって。だって国会中継で男の人がですよ、『えー、今後の予算を決めたいと思います』っていいながらも、夜の顔があると思ったら恐ろしくて恐ろしくて」
古市憲寿「田原(総一朗)さんって、普通にプライベートでご飯食べても、番組みたいで、ぴったり2時間で終わるんですよ。ホントにテレビのように時間ぴったりで生きてる人」
井上陽水「話をした後に、笑って終わるとかいうのが凄く好きなんですよね。一番ダメなのは、『よく聞いてくださいよ、やっぱり人間はね、誠心誠意、マジメ一本、努力しないと、そういう事の先に成功があって、きっとアナタの幸せはその延長線上にある、明日からも頑張ってくださいね』って言うと、どこ笑っていいかわからないじゃない(笑)。決まりきったような質問に、決まりきったような答えがあるようなインタビューを、よくテレビなんかでみましてね、んー、なんか、ちょっとつまらないなぁ、なんて思う気持ちが強いんですよね」
千秋「(新元号の発表を)娘にみさせようと思って、歴史的な瞬間だからみようって言って、テレビの前に行こうって言った時に、まだちゃんとテレビが主役なんだってちょっと思いました」
バカリズム「デビュー当時はとにかくネタがわかりづらい、テレビ向きじゃないって言われてて、そこにすごい反発してたんですよ。やっぱ若手のときだから、自分が一番だと思っちゃってるから。でも今になって考えると、確かに、それがおもしろいんだっていうことを、どれだけちゃんと多くの人に伝えられるかっていう技術が無かっただけなんだなっていうか。当時はもう、このおもしろさがわからないだけなんだっていうふうに、突っぱねてたんですけど。おもしろいことはずっと変わらないけど、それを伝えるっていう努力をもっとすればよかったんだなって、今になって思います」
マツコ・デラックス「(人生をやり直すなら)せめて中学くらいからにしてほしいね。だったら私もう、すごい勉強して、絶対テレビとは関わらない」
永野「クワバタオハラと仕事してからが、本物のテレビマンやで!」
有吉弘行「よく昔いってたよ。ボクの尊敬する人は。『人気がないのにテレビ出てるのが本物だ』つってね」
黒柳徹子「アタシね、テレビ出てる人の中で一番視聴率気にしてない人間だと思います。全然気にしてないものですから」
笑福亭鶴瓶「テレビっていうのは、やっぱりああいう番組(=『徹子の部屋』)があるからこそ常識が保ててるし。また『徹子の部屋』は絶対に終わらないし、終わらしてはいかんなあと。ボクがいうのはおこがましいけど。徹子さんが100歳までで、ボクが82歳でその番組に出れるぐらいの気持ちで、ずっとやりたいなと思います。あれは、テレビの中のホントに、最終的な常識を保つ番組じゃないかなと思いますね」
上田晋也「なんでか知りませんけど令和になる瞬間、家族4人で手つないでテレビみながら、なんで手つないだのかはいまだによくわからないんですけど、迎えまして」
立川志らく「芸人とか芸能人を、まともだと思わないでくれ。しょせん、ろくでもないやつらが集まってると思ったほうがいいんですよ。ホント駄目人間。会社に勤めることもできない、飲食店なんかもなかなかうまくいかない、何やっても駄目なんだけれども、芸をやらせると光るものがある。そういった人たちが集まってる。昭和の人たちなんか、でたらめな人たちばっかりだったでしょ。だから、不倫をしたぐらいでね、芸人が『すいません』って。こいつら不倫とか平気でしちゃう駄目なやつ。それがテレビに出てきて嫌だったら、親が教えればいい。『ちゃんと勉強しないとこんなになっちゃうわよ』と。『だから勉強しなさいよ』っていう。スポンサーのイメージが悪かったらそいつは使わなきゃいいだけでね。それがいい悪いでいったら、悪いんですよ」
ナイツ・塙「(マセキ芸能社に所属するとき柵木会長が)『うち入るのはいいけど、条件がある』と。『漫才協会に入りなさい。入って内海桂子の弟子になりなさい』って言われたんですよ。ボクらも、いろんな先輩に相談したんですよ。そしたら、『それ会長が必ず言うやつで、会長は昔のお人だから、浅草からスターを作りたい人だから必ず言うんだけど、いま漫才協会入っちゃうとテレビ出れないから、断れば大丈夫だよ』つって。バカリズムさんも、いとうあさこさんも、みんな1回断ってるんですよ。ボクらも、『ボクらはやっぱテレビの路線で行きたいんで、すいません会長、漫才協会行きません』って言ったら、『駄目だ』って。『オマエらは見える。浅草で絶対売れる』って言って、そこでホントに1歩も引かなくて、会長が。正直やっぱり辞めたかったです」
滝沢カレン「私、(自分が出てる番組は)見ないです。テレビ見るときがあったら、もっと見たいものいっぱいあるから。映画とか。外国の映画」
丸山桂里奈「私は結構テレビは全部見る。見るって決めたら。途中から見るっていうのをやらなくて、何時にこの番組があるっていったら、その番組を全部見る。途中でどっか行ったりとかしないし」
みやぞん「途中でチャンネル替えたりとかもしない?」
丸山「ビデオとかじゃないから止めれないじゃん。だから、そのときにこういうふうに(集中して)見たいなって思う」
みやぞん「本気なんだ」
丸山「自分が出てる出てない関係なしに」
みやぞん「関係なしに、こうやって(集中して)見るんだ」
丸山「こうやって(集中して)見るし、それがテレビとの向き合いだと思うんだよね。こっちの人も見てるんじゃないかなって気持ちになるんだよね」
みやぞん「向こうがこっち見てんじゃないかって?」
滝沢カレン「桂里奈さんを?」
みやぞん「見てないよ」
滝沢「見てないと思う」
みやぞん「向こうは見てないよ」
丸山「あと、テレビも生きてるって思うっていうかさ」
みやぞん「でもまぁ、いいんじゃない。そういう考えかたも素敵だよね。心で見るってことだね」
丸山「そうですよ」
みやぞん「『100年後には何もない』って思ってる。だからといって別に何もしないわけじゃないけど、ここにいる人たちに嫌われたとしても、自分が楽しくやって、『オマエは楽しすぎて嫌いだ』って言われたとしても、『どうせ100年後にはみんないないかな』って考えなの。いいか、みたいな。そんな気楽な考えかたというか、もういいじゃん、楽しくいったら。それでテレビで、『もうあなたいりません』って言われたら、いなくなったところで、そこで楽しくやるし」
(石橋貴明と初対面)
霜降り明星・せいや「(今後の目標は)霜降り明星はセットでおもろいよな、セットでおったらやっぱ間違いないなって、業界の人に思ってもらえるような。やっぱ長く漫才はしたいですね、絶対に。テレビも大事ですけど、根本に漫才」
梅宮アンナ「当時(羽賀研二が)テレビで『オレはプレイボーイだ』ってことを言っていたら、それをみて(父親=梅宮辰夫が)『ちょっとキミ。オレは言いたいことがあるんだよね』って言って、『プレイボーイっていうのは、オマエのことは言わない。オレのことを言うんだ』って」
IMALU「(両親の)健康状態はすぐわかります、テレビ上で、画面で。父親とかも出てくると、今日声ちょっと枯れてるなとか。たぶん他の人が気づかない、微妙な枯れ具合があるんですよ」
ミッツ・マングローブ「もし原田さんのお子さん、いまご覧になってたらすぐにテレビ消してください。ホントに1時間、今日は惨めなお父さんの姿を晒すことになりますから」
原田龍二「お手柔らかにお願いいたします…」
おすぎ「芸能界にいてわかると思うけど、お笑いタレントばっかり出てきてるでしょ、いま。テレビ、朝から晩まで。それが嫌で、7年くらい前、(私は)博多に行っちゃったのよ」
吉行和子「あなたたちがテレビやなんかに出てきた頃は、やっぱりその前なんかはちょっとそういう(同性愛の)噂が立つと、もうテレビから消えちゃった人が何人もいたから。あの2人が平気でね、テレビに出てるっていうのは、やっぱりすごく…」
ピーコ「だってあのころは、美輪さんとピーターぐらいしかいなかったじゃない。そんなこと自分たちで胸張って言ってるような人。それはキレイな人だったけど、アタシたち汚いっていうのが売り文句だったからさ。あんな人でも言ってられるのね、みたいなさ」
吉行「やっぱり、勇気があったと思う。それを突き抜けてやってるんで、後の人たちがうんと楽になったでしょ。それは確かよ」
ピーコ「どうだろうね」
おすぎ「どうだかわかんないね」
太田光「オレらが若手のころ、なかなかテレビで放送できないネタを(ライブで)やってたのを、今度、そういうのを喜ぶ客が来るんですよ。で、オレらもテレビじゃやれない、売れてないもんだから、今度は卑屈になって、あえて放送禁止ライブみたいなのやるわけ。そうすると、そこにまた客がそれを求めて来る。そうすると、つまんなくなってくんだよね、だんだん。なんでもありっていうふうになっちゃうと、要するに表現がもう単純になって、最終的にはチンチン出すしかなくなっちゃってさ」
落合陽一「いまのユーチューブとかネット炎上の類って、その系がたしかに…」
太田「オレ、バカッターだからさ、もともと。オレにはたぶん、そういう制約が必要だと思う。じゃないと、なんでもやっちゃうから」
落合「制約芸としてのテレビっていうところですかね」
太田「で、そこで工夫するのが、実はおもしろくて。ホントはおんなじこと言ってんだけど、ちょっと表現を変えるだけで、すぐ視聴者に入ってっちゃう。だけど、実はそれは、言っちゃいけませんっていうことを言わなくても、表現を変えるだけで、それが実は芸として面白いとこだったりするから」
太田光「オレなんかは若いころ、3年間ぐらい人と、誰ともしゃべれない状況があったんだけど、おっちょこちょいなとこあるから、こういうテレビに出てる人ってみんなそうだけど、これネタになるなとかね、この経験って実は自分が人前に出るようになったら話せるなとか、そういうことを思えればいいんだけど。50歳になって何十年もそういう(引きこもり)状態のときに、本人がそれを…ホントはオレなんかから見たら、それすごい貴重な体験で、重要な過ごし方に、ちょっと見方を変えればなるとは思うんだけど、本人がそれを思えるかどうかっていうのは。周りがお前の経験貴重だぞっていう、なんかそういうことが言えたらいいんだけど」
堤真一「生意気なんですけど、トレンディドラマとか言われてた時代なんで、テレビ(の仕事)をやるつもりは一切なかったんですよね。いわゆる連続ドラマっていう的なものには、要は人気者たちが出ているテレビの世界には関わりたくないと思ってました。ただ、フジテレビの連続ドラマ(=『やまとなでしこ』)を30歳ぐらいのときにやって。で、そのときに、テレビのドラマもこんなに現場って人数がいて、寝ずにいろいろやってるスタッフがいたり。そのモノづくりに関しては、全然舞台とかと同じだし。素晴らしいなと思ったので、自分の一方的な、単なる連続ドラマみたいなのやらねぇっていう意識は、なくなりました」
又吉直樹「コントとかボクらやってるじゃないですか。劇場でずっと出てたときは、ボク普通に子ども役とか、20代後半で…ボクが子どもで、相方が会社員みたいな関係性のコント多かったんですけど。劇場ではそれでまかり通ってたのが、テレビ出たときに、全然こっちが意図してない、ボクが子どもの格好で出たときに悲鳴が起こったりして。なるほど、もう小学生の役やったらアカンぐらいの見た目になってるんや、って。設定を超えるぐらいの大人というか、子どもらしからぬ何かがあったんでしょうね」
野々村友紀子「二丁拳銃だけで出てほしいんです、テレビに。私の出てるワイプで出るのやめてほしい」
野村大貴(沢村一樹の長男)「(小さいころから)母親が『これがお家を作ってくれたお仕事だよ』っていって、(父親が出ている)テレビを見せてくれるんで。テレビに出るしか、お金を稼ぐ方法はないのかなって」
笑福亭鶴瓶「テレビはいろんな害もありますけど、ほんまにええもんも…思い出をつないでるんですよね。縁をつないでる」
木嶋真優(バイオリニスト)「ほんの数か月前にテレビに出させていただくように急になったんですよ。それまで普通に生きてきたつもりなのに、周りの人から『天然だ』『おかしいよ』って言われることがすごくい多くて。でも、これからは私の目指すところは、クラシック界の北川景子さん」
松本人志「あれ? テレビ出ていいの?」
オードリー・春日「いや、いいんですよ。犯罪を犯したわけじゃないんですから。まぁまぁまぁ、犯罪級のことですけどね」
(「ゴチになります」でラスト3人に残ってしまう)
木村文乃「これ、テレビの向こうだったらすっごい笑えるのに」
千鳥・ノブ「テレビ(の仕事)は50歳ぐらいまででいいかなと思ってますね」
いとうあさこ「やめて、私来年50なんだから」
秋川雅史(テノール歌手)「オペラの舞台に出たいと思ってずっと活動してきてたんだけど、『千の風になって』がヒットして、オペラに出る機会は目の前にあるわけですよ。秋川が出演したらお客さんが入るってことで、いろんなオペラの団体からオファーがくるんだけど、今度はここに怖さを感じるようになって。やっぱりオペラの格式というか、歴史の重さっていうのを身にしみて知ってるんで。だから、ちょっとテレビに出だして有名になったからオペラの舞台に出て…。結局オペラ自体の価値を下げちゃったらいけないなと思って(オペラの舞台を断ってきた)」
平成ノブシコブシ・徳井「M-1チャンピオン、キングオブコントチャンピオンとかは、言ったら漫才師、コント師っていうバックボーンをもってテレビに出てるから、どっかでテレビをナメてていいと思うんですよ。『別にテレビに出てなくても俺ら劇場で食えるから』って。けど、ノブシコブシは何の賞も持ってない。言ったら俺ら、タレントですよね。タレントなんて新しくきたヤツが絶対エラいんだから。俺らいつか仕事なくなるなって、俺は思ってた。だからなんかバックにないと。本書くとか役者やってますみたいなのがないと、いつか消えてくなっていうのは、言ってたんですよ、俺は結構。だから(相方の)吉村がこういうの(=ボーイレスク)やってれば、いつかテレビをいい意味でナメめれるようになって、もっとおもしろくなるだろうなとは思ってます」
岡村隆史「ちょっとまって、徳井さんは何を?」
徳井「ボクは、消えてもいいんです」
三遊亭円楽「今日はオリンピックデーだそうですね。そういえば、もう1年ちょっとでもってオリンピック。暑いでしょうねぇ。アタシのね、やりたいことはひとつあるんですよ。クーラーの効いた部屋で、冷たいビール飲みながら、テレビ桟敷で観戦すんです。最高の楽しみ、円楽です」
土田晃之「プライドなくしてからのほうが、絶対テレビ出れるようになってると思う」
木村拓哉「ちょっとだけ我が家では、(さんまさんは)すっごいおもしろい親戚のおじさんみたいな感じ。(娘が)テレビみて、(さんまさんが)出てたりとかすると、『最近会ってないよねー』って普通に言います。誰だと思ってんだお前、って思うんすけど。でもちっちゃいころから会ってる人だから、『最近会ってないよねー』って、よく言ってますね」
戦慄かなの「少年院で唯一の楽しみがテレビをみることだったんですけど、テレビをみるために、8時から9時の間だけみれるんですけど、多数決で決めるんですよ、みるテレビを。で、火曜日は絶対に『さんま御殿』で」
明石家さんま「あ、そう。どうもホントにありがとうございます(カメラに向かって礼)選んでいただいて。がんばります。キミたちも早く厚生して、ここで会いましょう」
佐藤健「いま一番おもしろい番組です、これが。テレビの1位です。すべてのテレビで。歴史も含め」
石塚英彦「デブタレの中の誰かがオムツ履いたら、もう一斉に撤退しよう。これはテレビでは駄目だよ」
久米宏「テレビみてる人、意識下でみてるんですよ、テレビって。意識下のことがかなり重要なんです」
田村亮「宮迫さんと記者会見を開きたいとずっと言ってきたことも、会社を攻撃するなんて、そんなことは一ミリも本当に考えていなかったです。自分たちのことを育ててくれた会社に対して、そういうことを思っていない気持ちすら伝わっていない。途中でボクらが弁護士を立てた理由もそういうことではなかったし、もともとは。ボクらの言葉が足らない場合、業界の人と違う目線、吉本の弁護士さんはどうしても吉本の目線になってしまうとボクは思っていたので。もっと関係のないところの、第三者っていう形で弁護士さん入れたいって相談したときに、吉本の方も『おお、いいやん』っていうふうにおっしゃっててくれたのが、実際に弁護士さんがくると急に態度が変わったようにボクは感じまして。そこから、吉本の弁護士さんとお話しかできなくなってきて。ボクたちも、一方的に言われたり記者会見の話が進まなかったりで、どんどん不信感が出てきました。もともと謝罪会見をしたい、世間のみなさまに謝りたいっていうところだったのが、どこからか話が変わっていき。そして、『記者会見やりたい、ネットとかで全部見れるようにしてもらえませんか』って伝えると、『いやいや、そんなんこっち側で決めるから』。ボクがすごく不審に思ったのが、在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫やから』と言われました。ボクらからすると、何が大丈夫かよくわからないですけども、何かボクたちが言うことが本当に、本当の気持ちが伝わるかが心配になったり。ネットのこととかを止めようとしたようにボクは感じてしまいまして。それで、とても不安になったり。もともと隙きだった会社だったのにこういう風に変わっていくんだっていうふうに、どんどん思いが募っていき。いま吉本に対してどうっていうよりは、ファミリーだと言ってくれてた方がこういうふうに変わっていくんだということに、びっくりしてる感じです」
東野幸治「にわかに信じがたいんですけど、吉本興業、テレビ局、在京在阪の5社株主だから大丈夫。この真意もちょっとわからないし。あと詐欺グループに関する入江くんのイベント、これも吉本主催なのか主催じゃないのか定かじゃないんですけれども。詐欺グループなのか、そのフロント企業なのかわからないですけど、スポンサーになっていたっていうのがもしかして、それを隠したいから会見をさせなかったっていうふうにとられても全然おかしくない。そのへんのところもなんの説明もないので。ちょっとこれは吉本駄目でしょと」
(宮迫には芸人を続けてほしいというFUJIWARA・藤本らの意見に対し)
上沼恵美子「芸人ってそんな熱いのん。ライバルちがうのん」
藤本敏史「ライバルでもあるし、同士でもあるというのか…」
上沼「へー。こんなことになってスッとしたわ、消えるし、とかは思わへんかったですか?」
藤本「それはまったくないですね」
上沼「思ってないなぁ、3人とも」
藤本「思ってる芸人、いてないんじゃないですかね」
上沼「いてる思うよ。そらいてるわ。椅子取りゲームやもん、芸能界は。こんなもんもっと言うたら、おらんようになってくれるのが一番ええやんか。今回のことで…ごめんなさいタメ口になっちゃって、吉本興業で6千組も芸人さんがいるってことがわかってびっくりして。やっぱりすごい会社やなぁと思いましたよ。その中から、テレビ…まぁ、吉本さんのテレビって多いです。チャンスもすごくたくさん作ってくれる会社で。いい会社やと思うんですけどもね。そんなかで競争して、それでバーっと上がっていって、それでダウンタウンになろう、明石家さんまになろうとしてるわけじゃないですか。そら1人でもおらんようになったほうがスッとするのちゃうのかって。私やったら、私ならね、あぁ消えてくれてよかったわって思うかも。人間悪いけど。私がそうだった。お姉ちゃんと漫才やってたときに、上は消えていってくれたらいいのにって思いました。そやけど消えへんかったわ」
野性爆弾・くっきー!「お笑いっていう大きい木の幹があって、そっからテレビ出る実がなり、音楽をする実がなり、アートをする実がなりっていうことよね。どれもね、まんべんなく熟してほしいなと思いますけど。幹が腐ったら終わりやから。要は、お笑いをやめたら終わりってこと」
(一連の吉本の騒動を受けて)
なるみ「しんどいよね。なにが…なんかしんどいよね。たぶん、テレビをご覧のみなさんとか、吉本を好きでいてくれてる人も、なんかだんだんしんどなってきてるっていうか。お笑い芸人が見せない顔っていうか」
ハライチ・岩井「テレビの音楽祭とかに出てるアーティストで、あなたの歌あったっけ、っていう人いません?」
大橋未歩「(この番組は)ファンが熱狂的。テレビだとそこまで熱狂的なファンってつかないと思うんですけど、『5時に夢中!』って、たとえばこの番組につくだけで、『大川さんの本を読みなさい』ってファンの方が言ってきたりとか」
アンタッチャブル・山崎「(会って緊張したのは)やっぱりダウンタウンさんとか、ウンナンさんとか。たけしさんとかさんまさんって、ちょっと上すぎて。もちろんテレビの人だからさ。でも、一番ビシビシ影響されてるのが、お笑い第3世代みたいな」
みやぞん「夢はありますか?」
宮下草薙・草薙「夢がボクなくて」
みやぞん「夢はなくていいね。夢がないなら自由だね、人間ね。夢があるとさ、逆にその夢に不幸にされることってあるじゃない。お笑いでテレビ出ることが夢だとさ、それのせいで苦しむじゃない。そうじゃないのが。売れてないのが苦しいってなるじゃない。夢をそこに持っちゃうとさ。だからもう(夢を)持たなくしたね。叶うまで不幸みたいなさ。叶わなくていいから、いま目の前のことを楽しもうって思ったんですよね」
フワちゃん「なんか、もともとアタシ芸人、テレビに出たくて芸人始めて。で、なんかネタやってたんですけど、なんか私は自分のことおもしろいって思ってて。だけどネタはあんまり上手じゃなかったんですよ。なんか、だから、おかしいな、おもしろいはずなのに、テレビ出れる手段ってネタしかないのかなって思ってたら、ユーチューブやったら、ユーチューブがたぶん私のおもしろいところ出せる、ベストなメディアだったんですよ。それがいったことによって、またテレビから呼ばれて、テレビに戻ってこれたんですよ、芸人として」
千鳥・大悟「(家族と)沖縄行って、レンタカー借りてホテルまで行きましょうってなったときに、レンタカー屋の人が、『あれ?』ってワシに気づいて、『大悟さんじゃないですか、嬉しい』みたいになって、写真撮ってくださいみたいな。『いいですよ』って言って写真撮ったら、『もうせっかくなんで、大悟さん、言ってた車じゃないの、こっちにお乗りください』。『いやいや、いいですよ』って。『いえいえ』って言ったら、たまーに六本木とか麻布十番とかを走り回ってる、パーティーリムジンみたいなんが、チャラい女と襟立てた真っ黒の男が出てくるみたいな、電飾がパラパラパラパラっとしたリムジン、でっかいリムジン来て。ワシは絶対嫌やと。なんでそんな、横向きに座って乗らんとあかんねんと。やけども子どもは、『うわー』ってなるやん。『これ乗りたい!』ってなって。嫌やけど、恥ずかしいし、こんな浮かれた(車から)出るとこ見られたらアレやなと思ったけど、まぁええわいうて。子どもも喜んでるし、まぁええか1時間ぐらいやしと思ってリムジンに乗ったら、もう音響もすごいわ。中も(電飾が)ビカビカビカビカ…みたいな。なんやねん落ち着かんと思いながら。でもまぁ子どもは喜んでる。で、中にでっかいモニターがあるから、まぁええか思って沖縄でパッとテレビつけたら、画面に映ってきたんが、宮迫さんと亮さん(の会見)。『ちょっとテレビ消せ!』ってなって、3分経った後に『テレビつけ!』って。『このリムジンから降りるとき、全員下向いて降りよ』言うて」
IKKO「もともとは、テレビはね、『ジャスト』っていう番組があったんですよ。それで密着取材をやってもらったんですよ。それでその後に、今度は紳助さんの『ヘキサゴン』。メイクアーティストだったころ。私、鈍いから、かなり。ギリギリまでマネージャーに『どうしますか?どうしますか?』って。意を決してやらせていただいたんですよ。そしたら思ったよりみなさん優しくって。それから少しずつバラエティに出させていただくようになった」
リリー・フランキー「テレビでも、この数字(=視聴率)がよくないみたいなことで、その瞬間にそうなっても、たとえば10年後、20年後にコンテンツとして延々人にみられてれば、今週の何%なんか、あんま意味ないわけじゃないですか。コンテンツになってるものをみんなが好きな時間に見るようになってくると、その瞬間に何人みたかってことよりも、もっと大切なことのほうが」
大根仁「テレビはどうあれ大好きなんで、ずっと好きでいたいんですよね。でもなんか最近ちょっと、テレビそのものが、ちょっと嫌いになりかけてる自分がいるっていう。あまりにも画一的というか。ちょっとしくじった人、うまくいってない人に対する叩きっぷりが、あまりにも一方通行というか。それはワイドショーに限ってのことだけど、今週いじめていい人、来週いじめていい人っていうのを、なんかこう……。なんかネット社会が立体化していってるっていうか、実像化していってる感じが。でもそれがじゃあ、いま起きたことか、つったら、前からムラ社会ではあったことなんだろうな、とか」
伊集院光「ますだおかだの岡田くんいるじゃないですか。朝、『クイズ脳ベルSHOW』。あれみてると、彼のすごい繊細なところがたまに出るんですよ。久々にテレビ出られる、ちょっとご隠居の女優さんとかいるじゃないですか。クイズなんか慣れてないから、制限時間になっても何も書かないで終わったりするじゃないですか。あん時に岡田さんが言った言葉で大好きなのが『潔い』つったんですよ。決して腐さなくて、おもしろくて、大好きになっちゃって。それから『クイズ脳ベルSHOW』みるようになっちゃったんです」
太田光「東日本の大震災があったときに、初めてネタ番組をテレビでやるっていうときがあったんですよ。みんな芸人は、どうやってネタをつくればいいのか。そうすっと、震災に触れずにほとんどはやるんだけど、爆笑問題がこんだけ大きな出来事があって、それに触れずにってなったら、きっと視聴者は余計そこに意味をもっちゃうんじゃないか。要するに、そこまで深刻だと思っちゃうんじゃないかっていうのもあったし、どこで一番震災に触れながらおもしろいネタを作れるかっていうのを、すごく考えたね。僕らが作ったのはあんとき、広告が全部、ぽぽぽぽーんだっけ、あれが広告になってる状況を笑いに変えたんだよね、我々は。それをネタにした。そうすると、震災そのものとか被害にあった人を傷つけるものではなくて、むしろそれに動揺している世間っていうのを、なんていうのかな…」
田中裕二「共感とかね」
太田「それはでも、どうやってそれをテレビに乗っけられるかっていうのが芸だったりして。やっぱ芸っていうものが、実はなんでもクリアしていくための武器になるっていう」
弘中綾香アナ「一視聴者としてみていたときに、22歳ぐらいでこの世界に入ったんですけども、アナウンサーって、なんでつまらないことばっか言ってんだろうって、ずっと思ってたんですよ。なんでこんな四角四面なことしか言えない、なんでこの人たちテレビ出てるんだろうって思ってたんですよね。なんでこういう職種っていうか、こういう人たちが必要なんだろう、ぐらいまで思ってたんですよ。でも、どういうわけか(テレビ局に)入ることになってしまって、アナウンサーとして。で、入ってみて難しさとかもわかったんですけれども、ああいうふうに、なんていうんですか、80点を取りに行きたくないなって思ったんです」
神田松之丞「俺はロックスターとしゃべってる?」
(テレビ出演時に寄せられる批判について)
神田松之丞「俺はちっちゃい会とかで打ち上げとかあるんですよ。そうすると、お客と飲んだりしないといけないんですよ。最近してないですけど。そうすっと、そいつが調子乗って、『芸人とは』とか『講談とは』とか痛いヤツが多いんですよ。その痛いヤツに直に会ってレベルを積んで僕テレビ出てるんで、嫌なヤツとかもそんな気にしないんです」
弘中綾香アナ「それ、どういうふうに思えばいいんですか? こんなヤツが言ってること気にしなくていいって思うように?」
神田「っていうか、そういうふうに言われる商売だなって、真面目に思ってますね。だって、テレビみてる人って、どっかバカにしてんですもん。バカにしないとやってらんないんですもん、人生。『だっせぇな、出役のヤツつまんねぇ、おもしろくねぇな』って言ってストレスをはらしてたりとかするから。弘中さん、いまガーッと(上り調子で)きてるじゃないですか。これで不倫したら(視聴者は)大喜びですよ。でもそれ、弘中さんもわかってるじゃないですか。絶対、上げて落としてるんだろうなっていう。この上げるまでワーッていって落とすのが視聴者の快感で、『うわ、こいつまた落ち目になった、アハハ』っていうのを楽しむのも含めてエンターテインメントなんで。その人の悪口を奪って怒っちゃいけないな思うんです」
弘中「(拍手)」
神田「っていうか、俺も悪口言ってるから。『テレビみてるヤツ馬鹿だ』とか言ってるし、お互いのラリーなんで。だから個別に批判することってそこまでないんですけど、基本その人の権利だから。お互いのラリーで持ってるじゃんっていうのは思いますよ」
横川尚隆「テレビに出始めて、見られてるからか(筋肉が)大きくなってきてて。テレビ効果はすごいっす」
和田アキ子「歳だけじゃないな、この寂しさは。本当は今のほうが、飲んだら朝まで飲みたい。家帰って、旦那は寝てる。1人でおんなじテレビを何回もみてさ。で、自問自答すんのよ。『アコお前どうすんの?』って。自分1人でよ。『どうするって…いやぁ、どうなんねやろうな、これから…』」
笑福亭鶴瓶「(ラジオは)テレビよりも自分出せるやんか。あれなんでやろうなぁ」
ももいろクローバーZ・百田「みられてないってやっぱ大きいんですかね?」
鶴瓶「このごろテレビでも地を出せるようになったけど」
百田「逆に地以外出てるとこ見たことないです」
新井秀和アナ「テレビで演じるのと舞台で演じるのっていうのは、違うもんですか?」
のん「プレッシャーもありますし、自分がいたらない部分がたくさんあるなっていうのを日々見つけて、どうやったらいいんだろうって悩む毎日なんですが。自分自身の存在も、見た人の心のなかに強く残せるように、演じられたらなっていうのが最終目標としてありますね」
矢沢永吉「テレビ出て一発かましたら、どうにかなると思ってたから。今でも忘れない。絶対なにか起きると思った。案の定、(初めてのテレビ出演が)終わった後に、ディレクター、プロデューサーの人が、『矢沢くん!矢沢くん!』。いまミッキー・カーチスさんから電話かかってきてる。いま篠山紀信さんから電話かかってきてる。反応が3つ、4つありましたね。それで、帰りました。帰ってる時にね、あのときの気持ちってなに? 広島から夜汽車乗ってたときに、自己暗示をかけてたこと。絶対できるからとか。お前だったら絶対できるとか。だからあの夜、フジテレビから僕帰るとき、どうやって帰ったか覚えてないんだよね」
山口もえ「『もえちゃん幸せだね』っておっしゃるけど、私もいろいろあるわけですよ。みんなあると思うんです。でもその中で、人に対して羨ましいとか、嫉みとか、僻みとか、そういう負の気持ちは一切もたないようにしてる。こういうお仕事をしている人たちは、いいところしかテレビで見えてないかもしれないけど、悩んだり同じように、いろんなことあるじゃないですか。私もいっぱいあるんですよ。あるけど、その中でもがきながらも頑張って生きてるわけだから。そういうところがいいのかなと思います」
オードリー・若林「コンビニのイートインで夜飯食ってんすね。ちょっと年上のお姉さま、おばさまが店員さんなんですよ、深夜の。毎日食ってるから話しかけられるようになって。おでんの大根を食べたら、こうやって来て『若林さん大根はね、味噌ダレがいいのよ』って。『ホントは薬味ひとつしか駄目なんだけど、プレゼントね』って。めちゃくちゃ嬉しかったんですよ。なんかね、仕事上のね、関係しかないんですよ。テレビ、芸能界なんて。でも、味噌ダレをくれたんですよ、無償で。なんかすごいうれしくて」
本谷有希子「飢えてんね」
蛭子能収「目立つ人と目立たない人とではですね、必ず目立つ人に『何かこいつ痛い目にあわせてやろう』って思ってる人がいると思うんですよ。目立たない人よりは。たとえばこういうテレビに出てる人も、『あいつは何を言っとるんだよ』っていって、なんかこう、2人っきりでその人と会ったら、ホントにこう殺しかねないような。でも、タレント、こういう仕事は辞めたくないんですよ。お金がやっぱりちょっとほしいし。人に目立たなくてお金が稼げる職業ってありませんかね?」
太田光「鏡の中の顔が自分の顔だと思ってたけど、全然ちがう。テレビ出だすとさ、わかるじゃん。オレが思ってたオレじゃないんだってわかるから」
山口一郎(サカナクション)「ボクもう音質とかどうでもいいかなって、最近思っちゃってさ。好きな音ならそれで良くない? だって、みんなアウトプット違うじゃん。スピーカーのこういうので聞く人もいれば、ヘッドホン、イヤホンでしょ。50年後にはアウトプットの性能は上がってるはずじゃん。テレビのスピーカーとかももっと質が上がってるはずだし。だから、いまテクノロジーのなかで一番いいもので作っておけば、ちゃんと(曲は)残っていくんじゃないかなと思ってる」
神田松之丞「ホントにいまこうやってメディアに出させていただくと、地方でもいろんな人が『テレビでみました』『ラジオで聞きました』って来てくれて。地方にも少しずつ種がまけてるような気がします」
宮藤官九郎「映画を自分が撮ってるときに、たぶん集中しちゃってたんだと思うんですけど、朝起きるときに、目さめる前にリビングからテレビの音が聞こえてきて、そのテレビの音声に対して『カット』って言ったことあります」
滝沢カレン「(『徹子の部屋』は)ホントに出たい番組でした。私にとって『徹子の部屋』は、おばあちゃんとみてた思い出の場所みたいな。テレビの場所だったんで、この人に私が会っていいのかとか、この人に会ったら私は何か変わっちゃうんじゃないかとか、すごいたくさんの思い出があったのに、あの扉をバーンって私が開けた瞬間、なにかがピツッ」
オードリー・春日「(むつみ荘に住み続けていたのは)テレビのためにとかじゃなかったんでね。ホントに居心地がいいから。ホントに好きなので」
(もし解散するならどんな理由?)
千鳥・大悟「ノブが辞めるって言い出したら、無理に止める必要はないでしょうし」
千鳥・ノブ「解散はないかもしれないですね。テレビを東京でワーッてやってくぞ、レギュラー増やすぞは、もうしんどいかって時期がくるかもしれないですけど。解散で漫才辞めるはないんじゃないですかね」
国分太一「解散危機みたいなのはあったんですか?」
ノブ「1回もないです」
大悟「もともとツレなんで。ツレというか友だちから入ってるんで。その状態が続く限りはたぶん(解散は)ないと思う」
黒柳徹子「NHKからデビューするときにね、アメリカのプロデューサーが、テレビっていうのはそこの国のご飯とか結婚式とか戦争までもが全部みることができるようになると。でも一番大切なのはね、永久平和がテレビによってもたらせると自分は信じてるんでね。そのとき私それ聞いててね、テレビに出てて平和を自分の力で少しでもそういうふうに守っていくことができるんだったらいいなと思って。それでこの仕事始めたんですよね。ですから今でもその気持ちは変わらないです。ホントに永久平和でいてほしいっていつも思ってます」
ナイツ・塙「落語家さんとかがよく『テレビタレントは落語やってないじゃないか』とか言う人いるんですけど、一番落語やってるだろと。毎日落としてるだろ話を、つって」
柄本明「劇団っていうものがあって、ひとりスターが生まれたりなんかすると、そこもまたいろいろ崩れるものが、問題がいろいろあるだろうね」
佐藤B作「うち(の劇団)なんかも山口良一が先に売れてさ、『欽ドン』で売れてさ。そうすると(劇場の)お客は増えるんだけれども、なんつうんだろうね、テレビの客だから、演劇の客じゃないから、多くはなるんだけど、質が下がるっていうから。こういうこと言っちゃ申し訳ないんだけれども。(劇場に)多く来るのはいいけども、なんかちゃんとマナー良くみろよみたいな」
三宅裕司「出てきただけで『ワー!』ってなるのがもう、最初にどうやって雰囲気つくるかで、芝居をつくっていくわけですから。出てきただけで(盛り上がる)っていうと、なんかもうちょっと違うんですよね」
柄本「だから、お客さんっていうのはどこかで…もちろんみていただくわけだからありがたい存在ではあるんだけど、同時に敵でもあるよね」
三宅「そうですね。どんどん芝居の質を落としていくようなリアクションをするお客さんばかりだと」
三村マサカズ「霜降りがM-1獲って以降かな、20代出だしたよね。この1年でだいぶお笑い若返ったよね」
三村「若い人ってYouTubeとかに流れるじゃない。テレビはテレビで若い人出てんだって思うと、テレビも諦めないで済むというか」
スタッフ「そんなに忙しい芸人さんじゃないじゃないですか」
寺門ジモン「ちょっと間違ってますよ。忙しくないじゃなくて、テレビにあんまり忙しくないだけであって、テレビ以外でお店探すためには、もう時間がないんだからオレは。それ以外全部時間使ってるから」
ヒロミ「1回休んでテレビをホントに視聴者としてみて。(芸能界に戻った後は、自分に)なんの評価もいらないんだよね。たとえば、リフォームなんてボクの番組じゃないから。あの番組面白いですねって局の人とかにも言われたりとかすると、それは有吉の評価でいいんじゃないですかって。自分が評価されなくてもいいと思ってるから。評価をされるとちょっと嫌なんだよね」
BOOMER・伊勢「令和になって初めてのテレビです。最近LEDなんだね、カメラの照明は」
滝沢カレン「こんなに何千本もやってるじゃないですか、テレビって。なのに、一緒のものって1個もないじゃないですか。それホントにテレビのパワーだと思います」
みうらじゅん「(大阪万博があったころ)ナショナルだったと思うけど、ナショナルのテレビ買うと(小さいタイムカプセルを)くれるんですよ。電気屋さんの前に行くと置いてあって、すんげぇほしくて、うちの古いテレビに毎日蹴り入れてたのをすげぇ覚えてる」
どぶろっく・森「(キングオブコントの)準決勝のときには割とウケたんですけど、決勝ってなるとゴールデンタイムじゃないですか。ボクら的にも自覚はありますから。盛り上がったけど(決勝には)いかないだろうなって部分はあったんですよね。それが決勝に選ばれたってことは、テレビ局の皆さんが我々のコンプライアンスを通したっていう」
あやまん監督「あやまんJAPANはそもそも遊んでいた、飲んでいたことがテレビに出ることによって仕事になったわけですが、私たちの中ではいま遊びなのか仕事なのか中途半端な感じで。テレビに出させていただいても、素人がテレビに出てやってるけど、でもこれお仕事だしみたいな感じがずっと続いていたんですけども、あやまんJAPAN株式会社という会社をつくることによって、これを仕事としてきちんと生きていこうと決めました」
マツコ・デラックス「やっぱテレビはいいね。テレビしか友だちいないもん。絶対裏切らない私を」
PUNPEE「夜中のテレビの群がりから発生、人からまた人へと感染、おげんさんと一緒、パジャマでおじゃまします、ぼくがらっぷのおにいさん、何気なくテレビつけてみた人も、ここでサビが来ると思った人も、新しい価値観で壊していこう」
(木村拓哉と初共演)
櫻井翔「僕も同世代のみなさんと同じように、テレビでみてる人で。いくら同じ会社にいたって、お会いする機会がなかったわけですから、テレビでみてる人ですよ。近寄りがたいっていうのが正確な表現です」
安住紳一郎アナ「テレビとかラジオ、放送、メディア含めて、ずいぶんとこの10年ぐらいで大きく変わっていて。特に若い人が今もうテレビみてないので。いやいやまだまだ、こういうふうにやればおもしろいんだなという、放送局自体が変化しなきゃいけない時期で、私たちがその世代になってるので、いろいろな気概をもってやらなくちゃいけないというふうには考えているんですが。変わっていく時期にあたっては、フリーランスよりも局員であるときのほうが、積極的に変化に関われるかなっていうふうに考えて」
阿川佐和子「そうなんですか?」
安住「一応。表向きは」
キングコング・梶原「オレはYouTubeをずーっともちろんやるんだけど、いつかはテレビでっていうのはある正直。それはオレ1人じゃなくて、やっぱりキングコングでやりたいっていうのはあるよね。オレちょっとYouTube始めてある程度成果も出てきてるときに、いよいよキングコングおもろなってきたなって感じなの、今」
岩下尚史「私の出る番組はですね、これをはじめ全部不真面目な番組なので、私は昔ながらのテレビの不真面目さに徹してますね。テレビでね、まともなことなんて言いませんよ」
所ジョージ「(肩書きは)テレビの人でいいよ。テレビに向かってなにかやるんだから」
(本職は何かと聞かれて)
いとうせいこう「っていうか、ボクの小さいころみてたテレビの中には、大橋巨泉さん、巨泉自体が俳句の名前ですからね、それで小沢昭一さんがいて、永六輔さんがいて、青島幸男さんがいてっていう。全員いろんなことやってる。こんな(自分の)ような連中ですよ。だからボクはもう、これがもう、芸能界のまっすぐ、真っ芯のところにいると思ってるんですけど、だんだん時代が変わってきちゃったんで、こんな変なところにいる感じになってる」
みちょぱ「いまもモデルをやらせてもらってるので、テレビも呼ばれる限りは出たいけど、なんか無理にNGとかなしで『がんばろう!』みたいなのはない」
トモ(テツandトモ)「消えたっていってもまだ死んでないんで。テレビという世界からちょっとみなくなっただけで、違う世界で頑張って生きてるわけですから。まあ、間違ってないんですよ、テレビ出てないから消えたのは。だけど、そこまで言われなくてもいいかなって」
岡村隆史「(休養中は)テレビも全然みれてなかったし。自分が出てた番組全部みてないし、バラエティ番組一切みてないし。もう、さんまさんの番組みるのが怖くて。わーって。わーってなんねん」
中居正広「陽気だ、って」
岡村「そう。なんでこの人こんな元気なん、って。だからオレが一番バロメーターにしてたのは、さんまさんと仕事したときに、ちゃんと仕事できたら、(体調が)戻った、ホントに戻れた、って」
大竹しのぶ「なんかわかる気がする」
柴田淳「私ね、一時期テレビをずっとつけてミュートにしてるときがあった。寂しくて。ミュートにしてると結構落ち着くの。人がいるの。でも、音はガヤガヤしてないので」
松本人志「番組を愛すファンとして、いつもテレビでみてたのをここでみさしてもらうぐらいの感じで最初やらしてもらいますので、よろしくお願いします」
ハライチ・岩井「澤部がテレビに出てたときとかみてましたけど、この仕事別にやりたくねぇなって。澤部がやってることを目指してるわけじゃないから別にいいわ、って」
明石家さんま「うちの師匠が『雑談をテレビにしたらすごいぞ』って言われて、『さんまのまんま』と『いいとも』の雑談コーナーを始めた。それを出来たら話し手としては…雑談をもたせたらっていうので。でもテレビ局はあのころは全部反対やからね。雑談なんてって。今は普通やけど。こんな雑談おもしろいのにとかいう。それを伝えられたらなっていうので、やったのは嬉しかった」
稲垣啓太(ラグビー日本代表)「カメラがね、嫌いじゃないんだけど、向けられると固まるんだよね。だから、いまいろんなテレビ出させてもらってるじゃないですか。めちゃくちゃ楽しいんですよ」
アンタッチャブル・山崎になりきる小手伸也「いやぁ、ありがたいねぇ。こんなテレビみたいなとこに呼んでいただいてね、アンタッチャブル復活ということでね」
アンタッチャブル・柴田「いやぁ! ありがとうございます!」
小林賢太郎「どうです? 自分の気持ちが作品づくりに影響するときと、しないときととか」
椎名林檎「やはりね、小林さんもそうだし私たちもやはり、『芸』なんですよね。スキルとか言っちゃうとすごく語弊があるから、たとえば、こういうテレビをご覧になる方に対してスキルっていうと、すごくあの、なにかあざといズルいもののように思われてしまうようなきらいがあるなと思う。特にJ-POPの世界はそうなんですよ。これは芸であって、あくまで嘘、虚構なんだけど、ちゃんとスキル、磨いてきたものでショーをお見せするっていうのが前提にあるんだけど、やっぱりドキュメントに見せるってことがひとつしきたりとしてあって。生き様、アーティストの生き方を曲に乗せてて、それに憧れる、憧れていただくみたいな。私は全然そういうのをやってないんだけど、やっぱりそれが、そういうふうなとこで語られたときに、すごく良くないもののように、偽物みたいに言われますが、実際にはやっぱり、そのときお客さんが欲してらっしゃる、ペイしてさ、期待してきた、こられたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸だと」
児島気奈(K-PRO代表)「オードリーさんはホントに、春日さんは普通に楽屋とかでも皆さんと楽しそうに話をしていて、若林さんはホントに誰ともしゃべってないっていうイメージしかなくて。こんなに下向くかっていうぐらい下向いてるイメージで。テレビの向こう側であんなに笑ってるっていう、声出して笑ってるっていうのは、ちょっとびっくりですね」
太田光「最近テレビ見てるだけでさ、テレビ評論みたいなのやるやついんじゃん。あれもう最悪だよね、あいつら」
(東京03・飯塚について)
おぎやはぎ・小木「なにがカッコいいって、テレビにまず出てない。なのに、このポジションにいるってすごくないですか? ライブだけの評判でCMも決まってるぐらいなんですよ。めちゃめちゃそれがカッコいい」
オードリー・若林「テレビって難しいよね。ラジオの感じと違うみたいに言われるときあるじゃない。テレビの感じと。3回ぐらい先輩たちと飲みに行かないと。3回ぐらい先輩と飲んで隙みせねぇと、うまくいかねぇじゃん。あれがめんどくせぇんだよな」
中山美穂「歌手になりたいと思ったのは、もう純粋に子どものころに、華やかだったテレビの世界で歌ってらっしゃる歌手の方をみて、あぁ、あの世界に行ってみたいなと思ったのが最初です。ホントにある日突然、知名度が上がってしまったんですよ。寝て起きたら有名になってたっていう感じだったんですね、私。それは、あるドラマだったんですけど、ドラマの第1回目の放送で、そのころ私、自分で電車に乗って現場に通ってたんですけど、その放送日の次の日から電車に乗れなくなっちゃうぐらい。その知名度が上がった瞬間から、バーッとアイドル時代をずっと突っ走ってたっていう感じになっちゃったので、実感がそんなになかったっていうか」
平沢和重(星野源)「テレビを利用するんです。あまり知られていませんが、9月1日から沖縄にもマイクロ回線が繋がり、中継が可能になるんです。その様子を、特別番組として流すんです。アメリカは沖縄との関係が友好であることをとにかく、とにかく世界に向けてアピールしたい。だからテレビカメラの前で日の丸を降ろさせて、リレーを中断させたり、島民を取り締まったり、そんな不粋な真似は決してできない。認めざるを得ないんです」
ヒカル(YouTuber)「ここから僕が言うことっていうのは、ためになるかどうかよくわからないです。だって、型破りなんで。みなさんの人生に役立つかどうかわかんないし、特にテレビみてる人には役立たない、こいつ誰なんだと思ってるかもしれないんですけど、この会場にいる人の心に響くことを言って帰る。ここの数百人にとっては意味のある授業にして帰りたいなと、いう意気込みでいます。……まぁあの、ウソなんですけど」
(アンミカは)
千鳥・大悟「いまテレビでテレビ一番うまい人やで」
太田光「(お前)ヤバいな」
宮下草薙・草薙「太田さんほどじゃないです」
太田「お前一歩間違えるとテレビ映せない」
草薙「いやいや太田さんほどじゃないです」
くまだまさし「今日、(謹慎後)初のテレビ収録でございます」
ミルクボーイ・内海「今年テレビで漫才させてもらったのが初めてやったので」
マツコ・デラックス「歳を重ねるごとにね、改めて、なんで私こんな格好でテレビ出てるんだろうって。変じゃんこれ。誰も望んでないんだから。テレビで太った女装をみたいなんて朝はないのよ。なんでこんな太った47歳のおっさんが女装してテレビ出てるんだろう。ド変態よ私」
所ジョージ「あの男が来るんです。あの男、1年みてましたけどね、テレビに対して力を抜いたところをみたことがない。全力投球。車でいうとエンジン全開なんだけど、タイヤがついてないことに気づいてないみたいな。明石家さんま師匠です」
草彅剛「(ユーチューブの撮影は)自分の部屋にいるみたいで。こういうスタジオだとね、テレビを撮ってるって感じなんですけど。ホント日常の空間みたいなので、あとでみると何がおもしろいのかと思って(笑)。それがまたユーチューブの魅力なのかなと思ってはいるんですけどね」
ヒロシ「たまたま遊びでやってたキャンプ、それが注目されて、逆にテレビ出れるようになったんですね。これってすごい嬉しいことですけど、もともとやっぱ芸人としてボクは活躍したかったから。それってじゃあ芸人の仕事?ってなったときに、オレ、芸人の仕事じゃないと思ってるからね、キャンプすることとか。がっつりネタをやってる芸人さんとかみると、ちょっと恥ずかしいね。ボクが小学校のときに憧れた芸人の姿ではないよね、今のボクは」
東野幸治「(それまで番組で披露できるような趣味がなかったから)ゴルフやったりとか、登山やったりとか、釣りやったりとかして、普通のことやっていこうって40歳ぐらいに思った。そうしないと、人生の末期、狂った人になっていくと思って。普通の人がやること片っ端からやっていこうと思ったのよ」
オードリー・若林「それは30代のときはお笑い、テレビっていうのにストイックに?」
東野「楽しいな、キャッキャ言うてやってたけど、だんだん」
若林「どういう意識の変化なんですか?」
東野「あるとき、スタジオで自分が笑ってる笑い顔が、すごい気色悪かったのよ。本心で笑ってる顔がすごく醜かったのよね。こんなんあかんなと思って。タレントとしてちゃんと大人のタレントにならないけないなと思ったのよ」
若林「やっぱ思うんですね。こんなことで笑ってたら駄目だっていう」
東野「20代はそれでいいけど、30代、40代って…紳助さんの教えよ。20代で100おもしろいこと考えてたらええけど、30代になったら80おもしろいこと、70おもしろいこと言って、あと20、30は人が納得することとか、情報であったりとかしゃべらなあかん。これが40代になったら50、50になり、50代になったら20、80になる。オレいま20、80やから。80がないねん。80の数がないねん。極端にいうたら、60歳になったら0、100でええぐらいや、ぐらいのこと。さんまさんとかダウンタウンさんとか、トップ走る人は別やけど」
若林「トップの人は、60、40ぐらいでずっと行けるけど」
東野「行けたりとかするけど、ボクらからすると、20代のお笑いの人におもしろいことは任せたほうが。仕事はそういうもんやでっていうふうなことは」
オードリー・若林「種類によりますけど、そっち(=番組スタッフ)がお望みならばっていうのをやってるから、目標とか夢とか聞かれても困るんですよ。テレビで目標なんか持つわけないじゃんっていうか。傭兵だから」
(小学生に向けて)
藤子・F・不二雄「ボクらが子どものころはね、テレビなんかね、今みんな当たり前みたいにテレビみてるけども、ああいうのは夢の中の機械だったのね。空想の世界の機械だったわけ。今もう誰だって当たり前に見てるからね。月世界なんか行けると思わなかったけどね、初めてアポロが月に着陸したときはびっくりしたもんね。だから、これから22世紀までにまだどんなことが発明されるかわかんない。楽しみですけどね」
EXIT・りんたろー。「(自分たちのキャラが)チャラいのに真面目みたいになっちゃったんで、関係性ないMCさんとかだと、そっち行っちゃったりとか。オレらもしんどくなると、保険あるんで、そっちに頼りたくなるときもあるんですよ」
EXIT・兼近「実は真面目みたいなふりしちゃうときあるんですよ」
りんたろー。「だけど、やっぱさんまさんはそっち行かずに、お前はチャラ男で行くんだろっていうメッセージ、ガンガンくるんですよ」
兼近「ずっとチャラ男でいられるんですよ。さんまさんの前だと」
明石家さんま「突っ走ってほしいしな。努力とか見せようとしたりすんのが、ホントは真面目なんですっていうのがオレ、大っ嫌いなのよ。実はこういうとこありますって。いや、そういうとこはテレビでオレらが判断するから、お前の口から言うなと。世間は賢いから」
草彅剛「テレビ最高。ネットテレビもいいけど、地上波のテレビっていいっすね。なんかね、またみなさんと会える気がします」