先週みたテレビの話をしながら、今週みたテレビの話をする:先週みたテレビ(1月11日~17日)
『プロフェッショナル 仕事の流儀』(1月11日)
岡村隆史「すべてが全部がうまく回ってるときっていうのは、さほど、なんでしょう…テレビの向こう側の人って笑顔にできてないんじゃないかなっていう。なんか背負ってる、背負ってないと、満たされてたらダメなんやろなぁって思ったりするんですよね」/『プロフェッショナル』1/11
— 飲用 (@inyou_te) 2016, 1月 11
去年の10月26日に放送された『プロフェッショナル』の放送10周年スペシャルは、
ナインティナインの岡村隆史が3人のプロフェッショナル*1をたずねる旅をする、
という特別バージョンだったのだけれど*2、
先週11日の同番組では、そのスペシャル回の未放送トークがお届けされた。
そんな番組のなかで岡村の語ったことのひとつが、上に引用したもの。
「不安のなかに成功がある」と言う左官・挾土秀平との対談のなかで岡村は、
「すべてが全部うまく回ってるとき」には、「テレビの向こう側の人って笑顔にできてない」、
だから、何かを「背負ってないと、満たされてたらダメなんやろうなぁ」と語った。
当然、こんな話を聞いたら、
岡村のあの約5ヶ月間の休養を連想してしまう。
いろいろひとりで「背負い」すぎた結果としての、体調不良と休養を。
そして、そういった状況に追い込まれた過去があってなお、
何かを背負っていないとダメ、満たされてたらダメと当人が言う、
そういう状況ってどうなのよ、とも思ってしまう。
で、そんなことを考えていると、
岡村の発言の文脈は横に置いといて、連想はSMAPへと走る。
今週18日の『SMAP×SMAP』の生放送、
「解散」がとりだたされるなかでSMAPの5人が、
世間をお騒がせしたことを「謝罪」するというような、
そういう生放送のなかで、
香取慎吾は沈黙をはさみながら、次のように語ったのだった。
「本当にたくさんの方々に心配をかけてしまい、不安にさせてしまい、
本当に申し訳ございませんでした」
「皆さまと一緒にまた今日からいっぱい笑顔を作っていきたいと思っています」*3
ぼくには、今回の「解散」話の詳しい事情はわからない。
何が争われているのか、何が正しいのか、ぼくはあまり理解していない。
っていうか、メリーさんって誰だ。 ベッキーの後を狙う新しいハーフタレントだろうか。
けれど、テレビの前の「たくさんの方々」が今回の件で感じる「不安」よりも、
大きな「不安」を背負っているのであろうと思われる人たちが、
テレビの前の「たくさんの方々」が今回の件で感じた「不安」を慮りながら、
これからもまたみんなと「笑顔」をつくっていきたいと、
テレビの向こう側に向かって語りかけている。
そういう状況ってどうなのよ、と思ってしまう。
『A-Studio』(1月15日)
鶴瓶「SMAPはね、ホントに日本のエンターテインメントのなかで特別ですよ。SMAPはSMAPだけのもんじゃないという自覚を、ホントにもつべきやなと思いますね」/『A-Studio』1/15
— 飲用 (@inyou_te) 2016, 1月 16
先週15日の『A-Studio』のゲストは香取慎吾だった。
そして、笑福亭鶴瓶は「SMAPはSMAPだけのもんじゃない」と語った。
確かに、そうなのかもしれない。
だとしたら、18日の『スマスマ』生放送でSMAPの5人が映し出される前、
『世界に一つだけの花』を歌うメンバーの過去の映像に、
「視聴者のみなさんから寄せられた、およそ8000通のメッセージ」から選ばれた、
いくつかのSMAPへのメッセージが重ねられる演出、
SMAPと視聴者・ファンはお互いに支え、支えられる存在なのだ、というような演出は、
まさに「SMAPはSMAPだけのもんじゃない」という感覚を映像にしたときの、
もちろん別のかたちはありえるのだとしても、
ひとつのかたちだったりするのだろう。
で、そのことが、なんだかとても嫌だ。
視聴者のひとりとして。
なぜか。
『笑点』(1月17日)
歌丸「ここでさっきから我慢してじっと聞いてました。人の写真を指差してコイツだとかジジイだとか。どうもありがとうございました。山田くん、全員の全部もっていきなさい」/『笑点』1/17
— 飲用 (@inyou_te) 2016, 1月 17
『笑点』は今年で50年。特別な年である。
そんな先週放送分、その3問目はこんなお題だった。
桂歌丸「3問目。笑点お笑いおまわりさんとまいりましょう。みなさんおまわりさんになって、指名手配の写真をもって一言。署長のアタシが『ホントか』って言いますので、さらに続けていただきたいんです」*5
そして、『笑点』メンバーに配られたのは、こんな写真パネルだった。
歌丸、ついに指名手配される。
で、いつものように歌丸いじりが始まって、
最終的に怒った歌丸が全員の座布団を全没収するのだけれど、
そんな混乱のエンディングのなかで、歌丸のこのパネルは、
下の画像のように三遊亭円楽によって「遺影」にされたのでした。
さて、歌丸が舞台の上で「死」を迎えた翌日、
『スマスマ』の生放送を受けて、
そういう文字がネットニュースやTwitterのタイムライン上に並んだ。
SMAPもまた、「死」を迎えたのだというようなことが言われた。
だけれど、SMAPとしての「死」、つまり「解散」が明言されたわけではなかったのだから、
今回SMAPは殺されなかった。息の根を止められることはなかった。
ただ、これまでと同様に生かされることもなかった。新たな生命を吹き込まれることもなかった。
殺されない。しかし生かされない。
「解散する」とも「しない」とも明言されない。
そんな生死不明の宙ぶらりんの存在、
比喩的に言えば(というかずっと比喩だけど)「ゾンビ」みたいな存在として、
あの瞬間、5人はカメラの前に立っていた、そんなふうにぼくには思える。
そして、SMAPを宙ぶらりんの状態に追いやった、
画面の外側で展開していたあれやこれやがどのようなものだったのかは、
ぼくには知るよしもないのだけれど、
あの画面のうえでは、
生死不明の状態のままの5人がカメラの前に立ったのは、
「視聴者のみなさんから寄せられた、およそ8000通のメッセージ」
「5人の声を直接聞きたい」というようなメッセージに、
後押しされたから、というようなことになっていた。
そういうストーリーが構築されていた。
「およそ8000通のメッセージ」一つひとつは、
もちろん誠実に綴られたものなのだと思う。
けれど、ああいうストーリーに乗せられたとき、
「5人の声を直接聞きたい」というようなメッセージは、
まるで「ゾンビ」を召喚する呪文にされてはいなかったか。
そこでは視聴者は、
彼らが「不安」を背負っていようとなんだろうと、
個人の勝手はできないのだ、というように、
SMAPを生死不明の状態に縛るひとつの要素にされてはいなかったか。
テレビ画面のうえでそんなふうに視聴者を使われたのが、
そんなことを求める存在として扱われたのが、
視聴者のひとりとして、ぼくは嫌だなと思った*8。
*1:左官・挾土秀平、りんご農家・木村秋則、歌舞伎役者・坂東玉三郎。いずれも、過去に『プロフェッショナル』に出演。
*2:(2015年10月26日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
*3:SMAP、活動継続へ意気込み【メンバーコメント全文】 | ORICON STYLE
*8:…と書いてはみたものの、実のところそういう構図、「画面の向こう側に苦行を強いながらそれを自分の幸福に変換する」というような構図は、テレビ画面を挟んでずっと前からあったのかもしれないし、今回の件は、そういう構図をわかりやすく目に見えるかたちにしただけなのかもしれないし、にもかかわらず、今回だけそういう構図の外側に出てあれやこれや言う、そういう状況ってそれはそれでどうなのよ、とも思った。