徹子の時間:先週みたテレビ(6月13日~19日)
『徹子の部屋』(6月17日)
徳光「ボクはかつてはちゃんとしゃべりで収入を得ていたんですけども、その後涙になりまして、いまは居眠りで収入を得ているというですね」/『徹子の部屋』6/17
— 飲用 (@inyou_te) 2016年6月18日
あたりまえのことだけど、
2時間スペシャルとか3時間スペシャルとかは全然スペシャルじゃない。
だってゴールデンタイムはもう毎日がスペシャル。竹内まりや状態である。
ただただ引き伸ばされただけの時間に「スペシャル」という冠がつく。
そんな話をマクラに、時間の話。
3時間スペシャルどころか24時間スペシャルで涙腺キャラを確立し、
バス旅行のスペシャル番組で居眠りへと収入源を移行させた男。
そんな徳光が、
『報道ステーション』のキャスターを務め終えた古舘伊知郎について、少し触れていた。
プロレスはほとんど取材をせずにできる仕事なんです。他のスポーツはだいたいなんでも取材しなきゃなんない。取材したものを自分で咀嚼して、自分の言葉でアナウンスするっていうのが実況の原則なんですけれども、プロレスはレスラーが取材を嫌がるわけですよ。それですから、いま映ってる画面をどういうふうにしゃべろうかっていうことで、言葉を組み立てなければならない。そのことが、ひとつやっぱりアナウンサーのしゃべりとしてのトレーニングになるわけです。それが後に、古舘伊知郎とかですね、福澤朗とか、こういった連中もフリーになって、ある意味で喋り手、話し手として成功しておりますのは、プロレスをやってる、このことがですね、やっぱり彼らが言葉の魔術師といたしまして、今日あるんじゃないかなというふうに思うんでありますけれども。
画面上のある一瞬に凝縮された時間、つまり点の時間。
インパクトの強い、しかしまだ誰もそれに言葉を与えていない、
言葉が与えられなければ、流れて消えてしまうかもしれない、
そんな点の時間に、言葉を与える。そこに世界の凝縮点があったことを、確かに刻む。
プロレスの実況を通じてそんな仕事を繰り返してきた結果として、
いまの古舘があると徳光は言う。
古舘本人の言葉を聞いてみよう。
古舘が11年ぶりにバラエティ番組に出演した、先々週10日の『ぴったんこカン・カンSP』。
自分も含めて同世代の男性アナは古舘のモノマネをするフォロワーばかりだった、
という安住紳一郎アナの話を受けて、古舘は自身の「おしゃべり」の履歴を次のように語る。
ボクはおしゃべりっていうのは基本的に発酵物だと思ってるんですよ。いまこうやって一生懸命ね、生意気にしゃべってますけど、それはやっぱりもっともっと若いときから漬け込んだんですよ。先輩たちのアナウンスメントを聞いて、これをずーっと自分のなかで醸成させると、模倣でやってるつもりでも自分のものになる。
古舘いわく、自分もまた先輩アナを模倣してきた。
古舘もまた、いわば先人から引き継がれた線の時間の上にいるのだ。
ただしそれは単なる線を上からなぞる作業、延長の作業ではない。
時間はモノを発酵させ、オリジナルなものへと変化させる。
線の時間を延ばす作業は、前身からの差異を生み、ゆえに後続者を生み、また線が延びる。
時間の話。最後は先週18日に最終回を迎えたNHK『トットてれび』。
たった30分のドラマだったけれど、そこには8時15分の時報があり、100歳の徹子がいて、
生老病死があり、時代の推移があり、複数の時間軸が交錯し、
役者のアドリブがあり、テレビがすべて生放送だった黎明期があり、
繰り返し語られてきた徹子の「伝説」が再現され、
これつくるのにどれぐらいの調査と作製の時間がかかったんだというセットと小道具と衣装があり、
向田邦子を演じたミムラは向田の筆致まで似せるために膨大な時間を費やしており*2、
小学生でFolderとしてデビューした三浦大知と満島ひかりが16年ぶりに同じ舞台に立ち、
黒柳徹子と満島ひかりは言葉を交わさず一瞬のうちに理解しあうテレパシー能力を行使し*3、
そして最後は8時44分の時報を告げて終わり、
というように、いくつもの時間が織り込まれた濃い30分だった。
最終回で黒柳は次のようなことを言っていた。
アタクシね、前からずっと100歳になるのは難しいっていわれてたんですよ。でもNHKのタンタンタンターンっていうね、7時の時報、あのときに座っててお座布団に、100歳になったら、そしてタンタンタンターンっていってからお辞儀すると、みなさんが100になってもまだ生きてるわって、明日もまたみようって、そういうふうにお思いになると思ってね、それやりたいと思ってたらば、そのプロデューサーが亡くなっちゃって。
100歳になったら時報になりたいと徹子は言う。
毎日、19時ちょうどの点の時間ために、毎日カメラの前の座布団に座る徹子。
繰り返すこの19時の時報。
視聴者と徹子はアナログ時計が2周回った24時間後に、また相まみえる。
点の時間は、円の時間になる。
点の時間。線の時間。円の時間。螺旋の時間。
テレビの向こう側に流れる、単に時間を引き伸ばしただけではない時間。
スペシャルな時間があるとするならば、
そんな時間のバラエティを感じることができるときかもしれない。
2人は劇中の終盤、こんな会話を交わす。
黒柳「アナタ、おいくつ?」
黒柳「アタシはね、いまの今日のアタシです」
時間のこの凝縮、この延長、この循環。
このスペシャルな時間。