◯、△、片桐はいり:先週みたテレビ(6月27日~7月3日)
『SWITCHインタビュー 達人達』(7月2日)
片桐「セリフ言うのが大嫌いなんですよ。変な話、セリフがいっぱいある台本で、これいかがですかっていったら、もうその塊をみただけで『あっ、お断りします』って言っちゃうぐらいセリフ言うのが嫌いなんですけど。セリフをもらって、ここだけで表現するっていうのが、すごく窮屈な感じがする」
— 飲用 (@inyou_te) 2016年7月3日
甲野「ホントに片桐さんって誠実な方ですよね。いままでずいぶんいろんな人に会ったけど、片桐さんぐらい誠実な人って片手いないですよ」「誠実が才能になってる人ってものすごく珍しい。誠実はふつう才能じゃないですから」/『SWITCHインタビュー』7/3
— 飲用 (@inyou_te) 2016年7月3日
先週2日の『SWITCHインタビュー』で、
セリフが嫌いだという俳優を、古武術家は「誠実」だと評していた。
これまで出会ってきた人のなかでも、とてもまれな「誠実」さだと。
そのうえで、昔ある人に聞いた話を語る。
「昔ある人に聞いたことがあったんですけど、芸能界っていうのはある面もの凄く純粋な人が結構いたりするっていうか。芸能界ってものすごくドロドロになってて、海千山千が…まぁそういうとこもあるかもしれないけど、同時にものすごい誠実な人が、社会にいたら消耗してしまいそうな人が。一般社会よりも、その(芸能界の)なかにいて、いろんなこと演じてるっていうなかだけでやってると、素の自分の純粋さが保てるような気がするんですよね」
ワタシを演じることは不純だと言われる。ウチはウチやから、みたいな。
素のワタシであることが純粋だと言われる。ウチやで、みたいな。
だけれども、逆に。
演じることで守られる純粋さ。
そういうものがあるのかもしれない。
対して、
その古市が先週27日の『ワイドナショー』に出ていて、
党首討論の件についても触れられていた。
で、そんな「炎上」をくぐった古市の、
テレビとネットと自由の話。
東野幸治「やっぱテレビって大変ですか?」
古市「テレビは大変じゃないですよ。ネットとかのほうが怖いなと思いました。ネットって守ってくれないんですよ。運営者のほうもテレビとはちょっとちがうし、反応はダイレクトに返ってくるし。逆にいまテレビのほうが自由なのかもしれないとも思いましたね。発言に関して。ネットの人のほうが批判にいつもさらされてるから保守的っていうか。テレビのほうがたぶん、自由に言えてる」
ネットは自由だと言われる。学校では教えてくれないことがネットに云々、みたいな。
それに比べてテレビは不自由だと言われる。コンプライアンスが云々、みたいな。
だけれども、逆に。
ネットは確かに自由に発できる。けれど、批判も自由にできる。
批判に対する備え付けの防波堤はない。個人でプロテクトしないといけない。
よって、ネットでは発言が慎重になる。自主規制が増える。不自由になる。
防波堤があるテレビのほうが却って自由に発言できる。
不定形に開かれた自由が不自由へと閉じ、
四角く閉じられた不自由が自由へと開かれる。
そんな側面があるのかもしれない。
セリフが嫌いだという俳優を、古武術家は「誠実」だと評していた。
四角い顔のその俳優は先週、
四角いテレビのなかの、四角いディスプレイのなかにもいた。