森「不寛容っていうのは生存欲求なんですよね。他者は怖いし。じゃあどうすればいいか。ボクはもっと後ろめたさをもてばいいと思います。自分に対して。特に自分がもってしまった正義とか善意に対してね、もっと疑いを向けていい。引け目をもてば、胸を張って他人に対して強い言葉を吐いたりできない」
— 飲用 (@inyou_te) 2016年6月12日
先週末、森達也監督作品、映画『FAKE』をみてきた。
佐村河内守氏のその後にカメラを向けたドキュメンタリー映画。立ち見も出る大入りだった。
騒動の真実を知りたいというワイドショー的なゲスな興味と、
そんなワイドショー的な切り口への違和感。
寒流と暖流がぶつかるところがよい漁場になるように、
相反する関心をくすぐる映画にも、人が集まっていた。
その日の夜、「不寛容」をテーマにした『NHKスペシャル』に、森達也が出演していた。
ネットの炎上は連日のように起こっている。
保育所の開設に近隣住民が反対しているというニュースも目にする。
どうやら私たちの社会は「不寛容」になっているようだ。どうすればよいのか。
番組のそんな問いに、森は上に引用したように応じた。「後ろめたさをもてばいい」。
番組は変わって、先週7日の『マツコの知らない世界』はイヤホン特集。
視聴者プレゼントにするイヤホンをマツコ・デラックスが選んでいた。
ひと通り選び終わったところで、マツコはテレビのこちら側に向けて言う。
「応募方法は最後までみないとみられないというのが、テレビの嫌なところです」。
ときにテレビも炎上する。
一方でテレビは、「影響力を考えろ」と言われる。パブリックな器としての責任を果たせと言われる。
他方でテレビは、「おもしろくない」と言われる。秩序を揺るがす非日常的なものであれと言われる。
相反するまなざしが交差するところは、よい漁場となる。不寛容の生まれる場所になる。
マツコはそこを、自虐で横切る。
「応募方法は最後までみないとみられないというのが、テレビの嫌なとこです」と、
不寛容が生まれる手前に先回りし、実はアタシもそう思ってたのよ、と先手を打つ。
その自虐は、テレビの外側からの不寛容に対する防波堤となる。
マツコはテレビの自虐である。
望むべくんば、そのような自虐、言葉を換えれば「後ろめたさ」が、
テレビの外側ではなく内側から発信される不寛容に対する、歯止めにもなりますように。